緑地帯 ささぐちともこ 被爆ギターの響き、未来へ③
24年8月29日
私がギターショップを訪れた時、店主は奥のソファで一人ギターを奏でていた。彼の名は、藤井寿一(じゅいち)さん。気さくな人柄で、私の顔を見ると「よう!」と右手を上げた。弾いていた楽器は、ちょうどメンテナンスのため、持ち主の元から戻ってきていた被爆ギターだ。傍らに置かれた黒っぽいケースは、縁が擦り切れ、中の板がむき出しとなり、留め金は錆(さ)びている。古楽器にも興味があった彼は、前々からそのギターを修復したいと思っていたという。
1945年8月6日、ギターは爆心地から南東に約3キロ離れた広島市の旭町で被爆した。爆風で崩れた家の中にあったギターは、ケースにしまわれていたため、その原形はとどめたが、表面板は熱の影響を受けたのか塗料が溶けてブツブツに盛り上がり、裏の板は反って隙間ができていた。
藤井さんは、ギターの表面を紙やすりで丁寧に磨き、一から塗装をやり直した。裏の板も接着剤で固定したり糸巻きを新しいものに取り換えたり、何カ月もかけて楽器と呼べる姿まで修復した。
「新しい弦を張って、これで弾ける思うたけど、なかなか楽器が鳴ってくれんのんよ。じゃけど『ラグリマ』を弾き始めたら、急に楽器が歌い出してね。この楽器は自分の曲を持っとったんじゃね」と、しみじみ語ってくれた藤井さん。
原爆を生き抜き、60年ぶりに音を取り戻した楽器。私は、このギターの話を書きたいと思った。(児童文学作家=広島市)
(2024年8月29日朝刊掲載)
1945年8月6日、ギターは爆心地から南東に約3キロ離れた広島市の旭町で被爆した。爆風で崩れた家の中にあったギターは、ケースにしまわれていたため、その原形はとどめたが、表面板は熱の影響を受けたのか塗料が溶けてブツブツに盛り上がり、裏の板は反って隙間ができていた。
藤井さんは、ギターの表面を紙やすりで丁寧に磨き、一から塗装をやり直した。裏の板も接着剤で固定したり糸巻きを新しいものに取り換えたり、何カ月もかけて楽器と呼べる姿まで修復した。
「新しい弦を張って、これで弾ける思うたけど、なかなか楽器が鳴ってくれんのんよ。じゃけど『ラグリマ』を弾き始めたら、急に楽器が歌い出してね。この楽器は自分の曲を持っとったんじゃね」と、しみじみ語ってくれた藤井さん。
原爆を生き抜き、60年ぶりに音を取り戻した楽器。私は、このギターの話を書きたいと思った。(児童文学作家=広島市)
(2024年8月29日朝刊掲載)