平生の基地所属元特攻隊員追う 埼玉の岩田さんドキュメンタリー映画 19歳で志願 再訪し仲間慰霊
24年8月31日
太平洋戦争中、平生町にあった特攻兵器の訓練基地に所属していた元特攻隊員の岩田元吉(もとよし)さん(98)=埼玉県和光市=を追ったドキュメンタリー映画が完成した。戦争の記憶を次世代に伝え、仲間を慰霊する岩田さんの姿を大阪府の映画監督葉七(はな)はなこさん(59)が記録した。(山本祐司)
「平和を祈る―戦争体験者と家族が伝えたいこと」と題した約1時間。島根県荒島村(現安来市)出身で、19歳の時に特攻隊に志願した岩田さんが、平生町にあった大竹潜水学校柳井分校で訓練を受けた日々を振り返る。特殊潜航艇「蛟龍(こうりゅう)」の乗組員として出撃する前に終戦を迎え、証言を続ける最近の姿も収めた。
岩田さんと葉七さんの出会いは2015年。岩田さんが役員を務めていた団体が、介護福祉に関する啓発のボランティアをしていた葉七さんを表彰したのがきっかけだった。岩田さんは特攻隊での体験を葉七さんに伝え、沖縄をはじめ多くの民間人の命を救えなかった悔しさを口にした。
元特攻隊員と話すのが初めてだった葉七さんは「戦争を体験した人でないと語れない言葉を残し、若い人に伝えたい」とカメラを回し始めた。岩田さんが19年に「犠牲になった先輩方に手を合わせたかった」と74年ぶりに平生町を訪れた時も同行した。基地の跡地にあり、隊員の遺品や当時の資料を展示する阿多田交流館を見学し、慰霊碑に手を合わせる岩田さんにレンズを向けた。
映画では、父が戦地に向かった家族や長崎原爆の被爆者の証言も入れた。終戦の日に合わせ、今年8月14、15日、大阪の劇場で初上映した。DVD化して販売している。葉七さんは「今もロシアのウクライナ侵攻など戦争が絶えない。早く世界が平和になってほしい」と望む。
岩田さんは今も元気に暮らす。映画の完成を機に「平和は一度手放すと簡単には戻ってこない。この映画を見て、平和とは何なのかを見つめ直してほしい。全国から命をなげうった若者が平生町に集まり、死と直面した時間があったことを覚えてもらいたい」と願う。
(2024年8月31日朝刊掲載)
「平和を祈る―戦争体験者と家族が伝えたいこと」と題した約1時間。島根県荒島村(現安来市)出身で、19歳の時に特攻隊に志願した岩田さんが、平生町にあった大竹潜水学校柳井分校で訓練を受けた日々を振り返る。特殊潜航艇「蛟龍(こうりゅう)」の乗組員として出撃する前に終戦を迎え、証言を続ける最近の姿も収めた。
岩田さんと葉七さんの出会いは2015年。岩田さんが役員を務めていた団体が、介護福祉に関する啓発のボランティアをしていた葉七さんを表彰したのがきっかけだった。岩田さんは特攻隊での体験を葉七さんに伝え、沖縄をはじめ多くの民間人の命を救えなかった悔しさを口にした。
元特攻隊員と話すのが初めてだった葉七さんは「戦争を体験した人でないと語れない言葉を残し、若い人に伝えたい」とカメラを回し始めた。岩田さんが19年に「犠牲になった先輩方に手を合わせたかった」と74年ぶりに平生町を訪れた時も同行した。基地の跡地にあり、隊員の遺品や当時の資料を展示する阿多田交流館を見学し、慰霊碑に手を合わせる岩田さんにレンズを向けた。
映画では、父が戦地に向かった家族や長崎原爆の被爆者の証言も入れた。終戦の日に合わせ、今年8月14、15日、大阪の劇場で初上映した。DVD化して販売している。葉七さんは「今もロシアのウクライナ侵攻など戦争が絶えない。早く世界が平和になってほしい」と望む。
岩田さんは今も元気に暮らす。映画の完成を機に「平和は一度手放すと簡単には戻ってこない。この映画を見て、平和とは何なのかを見つめ直してほしい。全国から命をなげうった若者が平生町に集まり、死と直面した時間があったことを覚えてもらいたい」と願う。
(2024年8月31日朝刊掲載)