緑地帯 ささぐちともこ 被爆ギターの響き、未来へ⑥
24年9月4日
長編を書くため、私は被爆ギターを数日お借りして、家で共に過ごすことにした。楽器を持ち帰る時、壊れそうな取っ手は持たず、ケースごと抱きかかえて市内電車に乗り込んだ。縁の擦り切れた古いケースの中には、世界でたった一つの尊いギター。乗客はそれを見向きもしない。私はこのギターが誇らしく、また愛(いと)おしく思えた。
自宅でギターを手に取り、隅から隅まで眺め、そして抱きかかえて奏でてみた。この楽器が作られた1938年ごろと言えば、日中戦争の最中。そして太平洋戦争へ突入していく。その中でも、哲夫さんはギターを持って、細川先生の元へレッスンに通ったのだろうか。
井上さんの記憶では、この楽器はギター職人ではなく、木工細工師が作ったと聞いている。ケースに入っていた哲夫さんの書き置きには、「土井某氏の作品である」と書かれている。そして「現在では通用せぬが、その時は広島では最高に近い品であった」とある。
美しい音を響かせていた大切な楽器は、原爆によって音を失う。ケースを開け、その変わり果てたギターを見た哲夫さんは何を思っただろう。哲夫さんは、95年に76歳で亡くなった。その11年後、60年という年月を経て再び音を取り戻したギターは、どんな気持ちで美声を響かせたのか。
私の指先から放たれる素朴な音色。原爆に遭ったギターの心の声を聴いてほしい。そう願いながら、私は物語を書き始めた。(児童文学作家=広島市)
(2024年9月4日朝刊掲載)
自宅でギターを手に取り、隅から隅まで眺め、そして抱きかかえて奏でてみた。この楽器が作られた1938年ごろと言えば、日中戦争の最中。そして太平洋戦争へ突入していく。その中でも、哲夫さんはギターを持って、細川先生の元へレッスンに通ったのだろうか。
井上さんの記憶では、この楽器はギター職人ではなく、木工細工師が作ったと聞いている。ケースに入っていた哲夫さんの書き置きには、「土井某氏の作品である」と書かれている。そして「現在では通用せぬが、その時は広島では最高に近い品であった」とある。
美しい音を響かせていた大切な楽器は、原爆によって音を失う。ケースを開け、その変わり果てたギターを見た哲夫さんは何を思っただろう。哲夫さんは、95年に76歳で亡くなった。その11年後、60年という年月を経て再び音を取り戻したギターは、どんな気持ちで美声を響かせたのか。
私の指先から放たれる素朴な音色。原爆に遭ったギターの心の声を聴いてほしい。そう願いながら、私は物語を書き始めた。(児童文学作家=広島市)
(2024年9月4日朝刊掲載)