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連載・特集

『生きて』 ポプラ名誉会長 目黒俊治さん(1943年~) <1> 原点は流川

セブンとの闘い半世紀

 広島市で誕生したコンビニのポプラ(安佐北区)。今の中区流川町で1974年12月に1号店を出して今年で50年になる。創業者の目黒俊治名誉会長(81)は大手チェーンと競争を繰り広げ、ピーク時は全国に900店近くを構えた。独自のスタイルを築き上げた半生を振り返る。

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 おやじ(恒一(こういち)さん)が体弱かったけえ、17、18歳の頃から家の店を手伝った。珍味、要するに酒のつまみを売っていた。飲み屋は常に掛け売りで、商品を一生懸命に持っていっても現金をもらえんでね。現金商売せにゃいけんと徹底的に思ったのが、コンビニを始めたきっかけです。新天地や流川の飲み屋街で育ったから、原点という感覚が強い。若い頃、あの街で積んだ経験のおかげで、うまいことやってこられた気がする。

  ≪74年5月、セブン―イレブン国内1号店が東京で誕生した≫

 セブンとわが社の1号店は同じ年。どう対抗するか。そればかり考えてきたことが今のポプラをつくった。ずいぶん、しぶとくやってきたもんです。

 ≪5月30日、会長を退いた。名誉会長室には「引き際を正しく 己に徹して人の為(ため)に生きる」という自筆のメッセージがある≫

 「己に徹して人の為に生きる」は母校の舟入高の校訓に由来し、自分の信念でもあります。これを貫き通すために引き際をしっかりせんと、と思ってきました。会社経営も「徹する」というのは結構難しくてね。まずは家族、それに社員も幸せにしないといけん。実践するために「千店舗」「1部上場」の目標を掲げてきました。

 東証1部上場まではいったけど、千店舗はよういかんなあというのは最近自覚したんよ。そのへんで引き際を考えるようになった。サラリーマンをやったことがなく、ずっと自分でやってきた。辞める方がね、なかなか難しいもんですよ。(この連載は報道センター経済担当・森岡恭子が担当します)

(2024年9月4日朝刊掲載)

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