緑地帯 ささぐちともこ 被爆ギターの響き、未来へ⑦
24年9月5日
被爆ギターの物語。その長編への挑戦は難航。3年近くかかり、やっと長編新人賞へ応募。入賞すると出版への道が用意されているが、落選。今は恥ずかしくて読み返す気もないが、その時は相当ショックだった。しばらく被爆ギターから離れ、またメルヘンのような短い作品ばかりを書いていた。
私は元々、戦争や原爆をテーマに書くつもりはなかったのだ。それなのに、なぜ私が被爆ギターの話を?
私の母・笹口里子は、終戦の年の春、広島電鉄家政女学校に入学した。その頃には戦況が厳しくなり授業はなく、毎日電車に乗務。車掌をしていた。寄宿舎で被爆した14歳の母は、崩れた食堂から這(は)い出し、同級生たちと街中を通り抜けて避難場所に向かった。その時見た地獄のような光景を、私は子どもの頃からよく聞かされていた。
小学3年の時、母に連れられて行った平和記念公園で、原爆慰霊碑に刻まれた文字を読んだ。「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」。原爆で広島が地獄のようになったのだから、もう人類は戦争なんてしないのだと信じた。だが後に、世界では戦争が繰り返されていると知った瞬間、子どもながらに裏切られたような、強烈な虚(むな)しさに襲われた感覚が、ふと蘇(よみがえ)った。
あの原爆に遭ったギターの話を書けるのは、この私しかいない。そんな使命を感じてからは、何度落選しようとも、くじけることはなかった。(児童文学作家=広島市)
(2024年9月5日朝刊掲載)
私は元々、戦争や原爆をテーマに書くつもりはなかったのだ。それなのに、なぜ私が被爆ギターの話を?
私の母・笹口里子は、終戦の年の春、広島電鉄家政女学校に入学した。その頃には戦況が厳しくなり授業はなく、毎日電車に乗務。車掌をしていた。寄宿舎で被爆した14歳の母は、崩れた食堂から這(は)い出し、同級生たちと街中を通り抜けて避難場所に向かった。その時見た地獄のような光景を、私は子どもの頃からよく聞かされていた。
小学3年の時、母に連れられて行った平和記念公園で、原爆慰霊碑に刻まれた文字を読んだ。「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」。原爆で広島が地獄のようになったのだから、もう人類は戦争なんてしないのだと信じた。だが後に、世界では戦争が繰り返されていると知った瞬間、子どもながらに裏切られたような、強烈な虚(むな)しさに襲われた感覚が、ふと蘇(よみがえ)った。
あの原爆に遭ったギターの話を書けるのは、この私しかいない。そんな使命を感じてからは、何度落選しようとも、くじけることはなかった。(児童文学作家=広島市)
(2024年9月5日朝刊掲載)