平和や思いやり 児童に訴え 150周年の和木小 佐々木禎子さん兄が講演 「命を大切に」被爆時語る
24年9月7日
平和記念公園(広島市中区)にある原爆の子の像のモデルで、被爆後に白血病のため12歳で亡くなった佐々木禎子さんの兄雅弘さん(83)=福岡県那珂川市=が6日、和木町の和木小で講演した。平和を願う気持ちや人を思いやる大切さを語った。(大平健幹)
雅弘さんは「いつも繰り返されていることは当たり前ではない。命を大切にしてほしい」と切り出し、禎子さんと広島の自宅で被爆した話を始めた。一緒に避難して船上で放射性物質を含む「黒い雨」を浴び「真っ黒で粘っこい顔をした禎子は私を心配していた」と語った。
白血病で入院した禎子さんは、家族に「痛い」などと弱音を吐かなかったという。雅弘さんは「鎮痛薬が高額だったことから、貧しい家族を思いやったためだろう」と話した。「皆さんも人を思いやることに命を使ってほしい」と呼びかけた。
6年西原結衣さん(12)は「家族や友達のことを思って生活したい。原爆は二度と投下されてほしくない」と話していた。
同小が創立150周年を記念し、人権教育の一環で講演会を開き、児童や保護者たち約400人が参加した。講演後、禎子さんが最後に折った折り鶴の複製品が同小に贈られた。
(2024年9月7日朝刊掲載)
雅弘さんは「いつも繰り返されていることは当たり前ではない。命を大切にしてほしい」と切り出し、禎子さんと広島の自宅で被爆した話を始めた。一緒に避難して船上で放射性物質を含む「黒い雨」を浴び「真っ黒で粘っこい顔をした禎子は私を心配していた」と語った。
白血病で入院した禎子さんは、家族に「痛い」などと弱音を吐かなかったという。雅弘さんは「鎮痛薬が高額だったことから、貧しい家族を思いやったためだろう」と話した。「皆さんも人を思いやることに命を使ってほしい」と呼びかけた。
6年西原結衣さん(12)は「家族や友達のことを思って生活したい。原爆は二度と投下されてほしくない」と話していた。
同小が創立150周年を記念し、人権教育の一環で講演会を開き、児童や保護者たち約400人が参加した。講演後、禎子さんが最後に折った折り鶴の複製品が同小に贈られた。
(2024年9月7日朝刊掲載)