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社説・コラム

社説 原爆裁判と世界 「国際法違反」再び発信を

 テレビの世界では、きのう注目の「判決」が出た。日本初の女性判事、三淵嘉子氏をモデルにしたNHKの人気ドラマ「虎に翼」である。

 クライマックスとも言える「原爆裁判」判決言い渡しの場面で、裁判長はこう力を込めた。広島と長崎への原爆投下は「当時の国際法から見て違法な戦闘行為である」。演出上の都合で異なる部分はあるにせよ、裁判の内容と流れはおおむね史実に沿う。

 1963年12月の東京地裁判決まで、8年余りに及んだ実際の原爆裁判は被害者5人が日本政府に賠償を求めた。かねて戦争で傷ついた人たちに思いを寄せていた三淵氏は判決を書いた3人の裁判官に名を連ねる。賠償請求こそ退けたが、民事裁判ながら核兵器の非人道性を指弾し、国際法違反と初めて明言した異例の判決はそのまま確定して国内外に反響をもたらした。

 原告の一人の名前を取って「シモダ・ケース」と呼ばれる裁判は、これまでも海外で一定に知られてきた。ドラマという思わぬ形で光が当たったのを機に、その歴史的な役割について被爆地としても見つめ直しておきたい。

 判決文を読むと、できる限り被爆者の思いに寄り添おうとした裁判官たちの良心と、熱量が感じられる。

 トルーマン米大統領が命令した原爆投下が爆風や熱線、猛火による想像を絶する殺傷をもたらし、原爆症の死者がなお後を絶たないこと。

 原爆の無差別性や残虐性が1899年のハーグ陸戦条約など、さまざまな戦時国際法の非人道的行為を禁じる基本原則に違反すること。

 原告の請求権は認められないと結論を出しつつ、国家が開始した戦争では、国民の甚大な被害に十分な救済策を取るべきだとしたこと。そして提訴後に制定された原爆医療法では救済にならないと指摘し、立法府と行政府の怠慢を「政治の貧困」と嘆く―。

 苦しむ人たちを救うとともに核兵器はもう使わせない、という願いが、この判決から広がったのだろう。国内では68年に原爆特別措置法、95年には被爆者援護法が施行される。国際社会においても、核兵器の使用・威嚇は「一般的に国際法違反」とする国際司法裁判所(ICJ)の勧告的意見が96年に出る。その流れが2017年の核兵器禁止条約制定につながっていく。

 ロシアのウクライナへの核使用の威嚇、日米政府を含め強まる核抑止論…。核を巡る世界の状況は悪化するばかりだ。ひとたび核兵器を使えば何が起きるのか。なぜ国際法に反するのか。60年を過ぎても決して色あせない名判決の訴えを、今だからこそ被爆国から再び発信すべきだ。

 核に限らない。パレスチナ自治区ガザなど、国際法違反が疑われる非人道的な戦闘行為は世界で絶えない。

 国内を見渡しても死者10万人が出た東京大空襲をはじめ原爆以外の戦争被害が放置されるなど、判決の趣旨にもとる問題が残る。戦争で傷ついた人々にどう寄り添うべきなのか。根源的な問いかけを、原爆裁判は示してくれる。

(2024年9月7日朝刊掲載)

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