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連載・特集

『生きて』 ポプラ名誉会長 目黒俊治さん(1943年~) <6> ナイトショップ

夜営業のコンビニ開業

  ≪米国視察をきっかけにコンビニ業参入を決めた≫

 イズミ創業者の山西義政さんが通商産業省(現経済産業省)主催の米国ツアーに誘ってくれたんです。イズミがサンモール店(1972年開店)を出す前、私が父から継ぐ大黒屋食品がテナントに入るから「勉強しろよ」と。米国は小売業が進んどったけえね。

 初めて海外に行った。英語はしゃべれんけど、若かったから怖いという気持ちはなかった。米国のコンビニを見てびっくりしたね。人件費が高い国で24時間365日やって、ようもうかるもんだなと。今の日本のコンビニより小さくて、ガソリンスタンドに併設した売店みたいなのがコンビニの原型だった。まあ駐車場も広いもんじゃと。米国のセブン―イレブンも見た。その時ちょうど流川の店をどうしようかというテーマがあったから、これにしようと決めた。

 山西さんは雲の上のような存在。好きだったよね、商売が。よく本通り商店街のよその店を見て回っとった。あの人も苦労人で真面目な人でね。米国視察の時も、暇さえあれば熱心にいろんな店を視察していた。私はせっかく行ったんだから遊ばにゃいけんと思ってよう遊んだ。

 ≪74年12月2日午後4時、流川町(現広島市中区)にナイトショップポプラをオープンした。営業時間は午後4時から翌午前3時までにした≫

 ノウハウがなくてね。近くにあったイズミの八丁堀店の商品台帳を借りて、そこでよう売れるAランク商品ばかりを集めて置いたの。じゃけえイズミに遠慮があったんよ。まねるけえ悪いなあと。だから、八丁堀店が営業している昼は閉めて、夜だけの営業にしたんです。スーパーはディスカウントで売るから何でも大きかった。しょうゆなら一升瓶。でも、得意先の飲み屋が一升瓶を買ったら、日持ちし過ぎて次が売れん。だいぶ売れない物が出てきたから、どうもコンビニとスーパーでは売れるものが違うと気付いた。

(2024年9月11日朝刊掲載)

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