『生きて』 ポプラ名誉会長 目黒俊治さん(1943年~) <9> ポプ弁
24年9月17日
店炊きご飯 大盛り人気
≪1976年に開いたポプラ銀山店(現広島市中区)で弁当作りを始めた≫
もともと(父の恒一(こういち)さんが創業した)大黒屋食品はメーカーだったので、作ることに抵抗がなかった。この延長線でずっときとるんよ。銀山店の上の階で作っていた。煮物とか家庭で出るようなものだった。
昼用の弁当はあるけど夜用がなくてね。昼用は朝に作る。どう努力したって時間がたつとおいしくないから夜は売れん。店でご飯を炊いて詰めるようになった。量はお客に聞いて「大盛り」と言われたら、ふたができんくらい大盛りにした。大盛りは一番人気だった。年寄りは逆に「多過ぎるから少なくせえ」と言って。大盛りでも小盛りでも値段は一緒にしていた。
以前、スーパーの店頭で、さきいかを量り売りした。その人その人のニーズに合わせるんですよ。よう売れたもんだ。
あの時のイメージが強くて「ご飯の量はお客に聞けえ」とよう言っとったよ。今でもポプラとローソン・ポプラは店内でご飯を炊いて弁当に詰める。ナショナルチェーンはマニュアル化できないことはせんから、うちの強みよね。ご飯はね、冷凍で合理化もできるけど、やっぱり炊きたてがおいしい。
≪経営コンサルタントの渥美俊一さん(故人)に影響を受けた≫
何年も欠かさずセミナーに参加した。渥美先生の理念は、流通を通じた「経済民主主義」の実現。本来はお客のニーズを大事にして、お客が要る物を作らにゃいけん。「これを作っとるけえ買え」という時代はもう終わるという考え方。感動したね。ポプラの弁当も、夜用の弁当を作ってくれるところがおらんから、どうしても必要になって自分で作っただけ。同じ考えなんですよね。うちは酒屋をコンビニのオーナーにした。酒と弁当はぴったり合う。これは、よそにはまねできないだろうという感覚はあったね。
(2024年9月17日朝刊掲載)