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連載・特集

『生きて』 ポプラ名誉会長 目黒俊治さん(1943年~) <8> ポプラ設立

挑戦の気概込めて命名

  ≪1976年4月、株式会社のポプラを設立した≫

 生命力が強い木だというんでポプラにした。世界中で一番成長することに憧れたというか。イトーヨーカ堂が展開するセブン―イレブン、ダイエーのローソンと、でっかいコンビニチェーンと競争せにゃいけんから意欲満々だったね。

 米国には視察で何度も訪れた。コンビニだけじゃなく他の店も見たんだけど、勉強になったね。印象に残っているのは、やっぱりシステム化。POS(販売時点情報管理)のデータで発注するという仕組みが、いかに必要なのかが分かった。

 ≪82年、セブン―イレブンが広島に進出した≫

 ナショナルチェーンが次々と広島に攻めてきた。流川、薬研堀、銀山、土橋の4店くらいでやめておこうと思っていた。本当にやめとったら楽だったんだけど、そうはいかなくなった。それまではのんびりやっていたと言ったらおかしいけど、ナショナルチェーンの強さはただごとじゃなくてね。うちの店の横に出店され、売り上げが半分以下になった。

 つぶれんようにするのが大変だった。向こうは合理的。客のつかみ方でも、POSデータを生かして仕入れるから、じっと店頭に立って売れた物を見るのとは違うよね。当時ポプラにその仕組みはなかった。システムを入れんと勝てんと思って、見よう見まねでPOSを入れた。

 ≪91年、全店でPOSを導入した≫

 同じ方法でやったらそう負けんわね。だけど同じ物をそろえて売っても、向こうの方がどんどん新しい物を出していく。対抗するにはどうしたらいいか。そればかりを考えていた。スズムシを売ったりホタルを売ったりしたのは極端な例だけど、もみじまんじゅうや野菜、果物、服などあらゆる物を売ったね。絶対まねできんもんを売ろうと。店内でご飯を炊いて弁当に詰めるポプ弁が特にそうだった。

(2024年9月14日朝刊掲載)

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