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[ヒロシマドキュメント 1945年] 9月中下旬 焼け跡に希望のカンナ

 枕崎台風が過ぎ去った1945年9月中下旬。爆心地から約800メートル北の中国軍管区砲兵補充隊(現広島市中区基町)跡のがれきのそばで、カンナが花を咲かせていた。朝日新聞東京本社出版局カメラマンの松本栄一さん(2004年に89歳で死去)が45年9月18日から25日までの間に収めた。

 松本さんは雑誌「科学朝日」の掲載のため、二つの被爆地で撮影を命じられた。「草も木も、今後七〇年は生えない不毛の地になると、当時はまことしやかに伝えられていた」(手記)。米科学者の談話に端を発する「生物70年不毛説」にえたいの知れなさを感じつつ現地へ赴いた。

 8月25日から長崎市で撮影。その後、広島市に鉄路で向かうと、枕崎台風のため山口県で立ち往生し、船で入った。一発の爆弾と思えない破壊ぶりに、「長崎で味わったと同じような驚異をここでも見せつけられた」

 一面の焦土をわずかに彩るカンナに「不思議な気がして思わずシャッターを切った」という。原爆資料館は02年の展示リニューアルの際、被爆の実態を伝える本館の最後にこの写真を掲げた。

 当時館長だった畑口実さん(78)=廿日市市=は「展示を見た人の希望に結び付くものを探していた」と狙いを話す。写真は現在も東館地下に展示され、「焼け跡によみがえった緑に人びとは生きる勇気と希望をとりもどしました」と日英両語の説明文で伝えている。

 畑口さんも母親の胎内で被爆し、父二郎さん=当時(31)=を原爆で奪われた。「母は希望を失いながらも働きづめで自分を育ててくれた」。焼け跡の緑が復興へ市民の励みになった一方、生活や街の再建は大変な苦労を伴った。(山本真帆)

(2024年9月18日朝刊掲載)

焦土に咲いたカンナの花

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