『生きて』 ポプラ名誉会長 目黒俊治さん(1943年~) <10> 全国区に
24年9月18日
同業買収し勢力を拡大
≪1988年、100店に到達。92年に九州へ進出した≫
ナショナルチェーンが広島に押し寄せ、このままでは生き残れんということで、九州の同業を買収した。相手も同じように行き詰まっとった。外へ出るときはある程度、足場がいる。コンビニは人と店が要るが、M&A(企業の合併・買収)は人も店も両方付いてくる。
≪98年、東京に進出した。同じ年、関東でコンビニ「生活彩家」を展開していた百貨店の高島屋の子会社を買収した≫
大阪を飛ばして東京へ出た。大阪商人というのは厳しくてね。なかなか新しいことをやらないし「お前のとこの世話にならん」という気風があった。先に大阪に行っとったら、きっと行き詰まっとっただろうね。
東京でもコンビニをいくつか買って地盤を築いた。高島屋がコンビニから手を引くと言うんで子会社を売ってくれた。ナショナルチェーンの店は山手線の外側が多かったから「真空マーケット」と思い、内側に出店した。ナショナルチェーンはシステムを均一化しようとして店舗の面積が一定だから、中心部に出られんかった。銀座は10坪の場所に出したけどよう売れた。店舗の賃料は高かったけどね。
どんどん店を出すんだけど、どんどん攻められるから大変だった。場所を見つけては「ここへ店を出す」と判断するのが私の仕事だった。戦略に失敗したら手が付けられん。行き詰まれば、潔く撤退。今でも車で回ると、つい「ここに店を出したらええな」と見る癖が付いとる。
≪99年、広島証券取引所に株式を公開した。2000年に東京証券取引所第2部に上場した≫
広島で株式公開した時が一番感激したね。やっと一人前になったというか。東京で店を出す時も上場企業として見てくれるようになったからね。広島証券取引所から始まって、いつの頃からか目標にしてきた「東証1部上場」へと進んでいった。
(2024年9月18日朝刊掲載)