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連載・特集

『生きて』 ポプラ名誉会長 目黒俊治さん(1943年~) <11> フランチャイズ

「酒屋の近代化」895店に

  ≪ポプラはフランチャイズ(FC)方式で店舗網を広げた。多くは地域の酒店からの業態転換だった≫

 ほとんどは、酒屋を口説いてポプラにした。みんな最初は嫌がっていた。酒屋をコンビニにして裏通りから表通りへ出したいのに、なかなか移ってくれんでね。酒の免許ごと会社を買っていた。ただ、行き詰まっとったけえね、酒屋いうのも。スーパーに押されて業務用が売れなくなっていた。だから「酒屋を近代化する」という考え方で、コンビニのノウハウを導入していきました。

 FC1号店も店の場所を移すのが大変だった。親の代からやってきた酒屋だったから、そのへんの話は長くかかった。でも出店後はオーナーがよく協力してくれました。酒屋同士というのは仲間意識があったけえね。1号店を見本にオーナー候補を連れていって「あれと同じ店つくろうよ」と増やしていった。

 ≪創業20年を記念し1995年冬、グアムへ社員旅行を催した。全国に約300店あったコンビニのオーナーも連れて行った≫

 飛行機に乗ったこともないオーナーもたくさんいたから「みんなで行こうで」って。みんな元気が良かったよ。泳いだり走ったり踊りを見たり、楽しかったね。よう金があったもんだ。全部自分が会いに行って店をつくっとるから、オーナー全員を知っていたよ。

 ≪2003年、店舗数は895店とピークに達した。その年に東京証券取引所1部に上場した≫

 どこの馬の骨か分からんやつには店を貸さないからね。どうしても一つのシンボルとしての上場が必要だった。信頼を得るためです。上場したら貸してくれるし、酒屋も入ってくれる。それにしてもいろんなことをやった。レストランやレンタルビデオ屋も本気でやりました。お客が潜在的に欲しがっているものを指す「ウォンツ」(欲求)を探る発想から入っとるんよ。

(2024年9月19日朝刊掲載)

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