緑地帯 菅亮平 被爆再現人形とフィクション②
24年9月20日
美術大学に進学した私は、ドイツ留学を機に第2次世界大戦後の歴史継承の在り方に関心を持ち、広島の地で日本の問題を考えたいと思うようになった。2020年に広島市立大の教員の職を得て広島に移住した。そこで最初に取り組んだ作品は、同年から翌年まで実施された原爆ドームの第5回保存工事にまつわるものだった。
工事では、原爆ドームの天蓋(てんがい)部分のオリジナル鋼材の補修に用いる塗料の選定に際し、被爆当時の色彩を再現する試みが初めて行われた。被爆直後の写真を基にし、当時の鋼材の色彩が推定されたという。デジタライズされた写真の該当部分の数値から、実際に使用する塗料の色票が選定されたのだ。
私は、保存工事で使用された塗料の現物を入手し、キャンバス一面を単色で塗りつぶす絵画作品を制作した。最新のデジタル解析技術によって緻密にその色彩は同定されているが、被爆直後に焼き尽くされむき出しになってさび果てた鉄はどのような色だったのか、それは誰にも分かりえない。その塗料の色彩はあくまで「再現」されたフィクションである。私は、鑑賞者が色彩そのものと向き合うことのできる絵画によって、歴史をさかのぼり当時の出来事に想像を巡らせる場を創出した。
その後も「ヒロシマ」をテーマとした幾つかの作品制作を経て、24年に原爆資料館の被爆再現人形の調査に着手することになる。(美術作家、広島市立大講師=広島市)
(2024年9月20日朝刊掲載)
工事では、原爆ドームの天蓋(てんがい)部分のオリジナル鋼材の補修に用いる塗料の選定に際し、被爆当時の色彩を再現する試みが初めて行われた。被爆直後の写真を基にし、当時の鋼材の色彩が推定されたという。デジタライズされた写真の該当部分の数値から、実際に使用する塗料の色票が選定されたのだ。
私は、保存工事で使用された塗料の現物を入手し、キャンバス一面を単色で塗りつぶす絵画作品を制作した。最新のデジタル解析技術によって緻密にその色彩は同定されているが、被爆直後に焼き尽くされむき出しになってさび果てた鉄はどのような色だったのか、それは誰にも分かりえない。その塗料の色彩はあくまで「再現」されたフィクションである。私は、鑑賞者が色彩そのものと向き合うことのできる絵画によって、歴史をさかのぼり当時の出来事に想像を巡らせる場を創出した。
その後も「ヒロシマ」をテーマとした幾つかの作品制作を経て、24年に原爆資料館の被爆再現人形の調査に着手することになる。(美術作家、広島市立大講師=広島市)
(2024年9月20日朝刊掲載)