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『生きて』 ポプラ名誉会長 目黒俊治さん(1943年~) <13> ローソンと提携

山陰維持のために決断

  ≪1993年、浜田市に山陰地方1号店をオープンした≫

 ナショナルチェーンは本部が設備を用意して店をつくるから、売れる所に行かんと本部も面白くないよね。1日50万円くらい売れんと採算が合わない。ポプラは20万円くらいでもやっていけた。本部に支払うロイヤルティー(経営指導料)が売上高の3%だからオーナーの負担が少ない。その代わり、(オーナーに最低限の収入を保証する)最低保証はないけどね。

 ≪ローソンは96年、ファミリーマートは2004年に山陰へ進出した。セブン―イレブンの1号店出店は09年だった≫

 ローソンも来るわファミリーマートも来るわで、単独じゃ山陰を維持できなくなりつつあった。広島じゃないからどうしても後手後手に回ってね。山陰を撤退するかしないか。そう考えていた時に、ローソン側から手を組もうという話をもらった。セブンに対抗する一つの手段だったんだろう。ローソンは他の地域でも同業と組んでいた。

 ≪ポプラとローソンは14年に資本業務提携した。共同で山陰に「ローソン・ポプラ」の店舗を展開していった≫

 ファミリーマートもうちを買いにきたよ。でもローソンとは新浪さん(元ローソン社長で、サントリーホールディングス社長の新浪剛史氏)との付き合いもあったから、そっちとやった。それにローソンはしっかりしとるからね。うちのポプ弁と一緒で店内調理の弁当を始めたでしょ。いいものを取り入れていくのは立派だなと思ったね。

 共同で大量に商品を調達した方が、仕入れ値が安くなるし、アイテムも幅広くなる。それにポプラ本来の良さを加えた「ローソンプラスポプラ」というのがローソン・ポプラの考え方だった。変化に対応していかないと将来がないというのは分かっていた。でも創業者としては正直言って面白くない。ローソンから全ての商品供給を受けるようになったからね。

(2024年9月24日朝刊掲載)

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