『生きて』 ポプラ名誉会長 目黒俊治さん(1943年~) <14> 再登板
24年9月25日
生き残り策の店舗転換
≪2008年5月、社長を娘婿の真司氏に譲り、会長に就任した。19年9月、真司氏が辞任し、再び社長に就いた≫
跡取りにする気だった。でも社長というのは大変だからね。経営はどこかツキみたいなものがないと長く続かない。私が東京でチェーン展開して、大きな失敗がなく結果としてうまくいったのは、やはりツキだろうと思う。誰でも努力はするんだけど、その結果がいいように出ない限りは続かんよね。まあでも本人が辞めるって言ったんだから、どうしようもない。
≪21年から山陰地方以外でも「ポプラ」や「生活彩家」の路面店を中心に、「ローソン・ポプラ」や「ローソン」に転換した。100%子会社のポプラリテール(広島市南区)が運営を担っている。残る店は病院など事業所内に集約した≫
ポプラリテールはローソンとフランチャイズ契約を結び、全ての商品の供給を受けている。ポプラリテールもそうだけど、こうして一つずつ進んできたことが、生き残ることができた最大の理由じゃないかと思うがね。ポプラという屋号をつぶしちゃどうにもならん。セブン―イレブンもじっとせず、どんどん展開している。
≪新型コロナウイルス禍が重なり、22年2月期に債務超過に陥った。第三者割当増資を受けるなどして、24年2月期に債務超過を解消した≫
債務超過になった理由は、一言で言えばナショナルチェーンの寡占化に負けたということ。抵抗はしたけどね、ものすごく。ロットが少ないから仕入れ値がどうしても違う。
≪23年5月に会長に就き、岡田礼信(ひろのぶ)副社長が社長に昇格した≫
80歳を前にして引き際をちゃんとしなくてはと思っていた。岡田がおって、やれやれと安心したよ。もちろん運もあるけど、それを支えとるのは社員だから。社員のおかげというのは一番大きいね。
(2024年9月25日朝刊掲載)