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社説・コラム

社説 岸田首相最後の外遊 核なき世界 道筋見えぬまま

 岸田文雄首相が国連本部で核軍縮の関連会合を主催し、ライフワークに掲げる「核兵器のない世界」の実現を国際社会共通の目標と明記する成果文書をまとめた。

 在任中最後の海外訪問の締めくくりである。被爆地広島を地盤とする首相として、意欲と使命感のにじむ仕事だったことは評価したい。

 とはいえ、在任約3年で世界が核兵器廃絶へ前進したとは到底言えない。ウクライナに侵攻し核の脅しを続けるロシアを筆頭に、むしろ道筋はかすんでしまった。岸田氏の退任後も、日本は被爆国として果たすべき役割と責任に向き合い続けねばならない。

 国連本部で主催したのは、兵器用核分裂性物質生産禁止条約(FMCT)の交渉開始に向けた友好国会合。核兵器の材料となるプルトニウムなどの生産禁止を目指す条約だが、国連決議から30年以上もたなざらしにされてきた。

 岸田氏は米国や英国、フランスといった核保有国の代表たちを前に、核戦力の軍拡競争が広がることへの危機感を訴えた。被爆80年の来年に被爆者たちの海外派遣などに取り組む方針も明かした。

 ただ、日本の熱意とイニシアチブは広がりを欠いているのが現状だ。今回友好国として理念に賛同したのは日本を含む12カ国だけ。ロシアや中国などがそっぽを向く現状では核軍縮への道のりは遠い。

 日本政府も矛盾を抱える。昨年5月の先進7カ国首脳会議(G7サミット)で、岸田氏が議長としてまとめた核軍縮文書・広島ビジョンは西側先進国の核抑止力を肯定。今年7月には米国と核を含む「拡大抑止」を強化することで合意した。核の傘の下で核廃絶を訴える主張に、どこまで賛同が広がるだろうか。

 核兵器禁止条約を巡るスタンスも整合性を欠く。政府は禁止条約を核廃絶への「出口」と認めながらも、批准はおろか締約国会議へのオブザーバー参加さえ拒み続けている。被爆地の声より、米国の意向を優先したと批判されても岸田氏は反論できまい。

 岸田政権が旗を振った「核兵器のない世界」の取り組みを、次期首相は引き継げるのだろうか。むしろ転換を図るのではと不安が拭えない。

 というのも自民党総裁選では、有力候補の口から米国の核兵器を日本で運用する「核共有」の議論を促す意見が出ているからだ。日本が堅持してきた非核三原則も、米国による拡大抑止の観点から「持ち込ませず」について見直しを訴える声も出ている。

 対照的に、野党第1党である立憲民主党の野田佳彦新代表は禁止条約に「オブザーバー参加からまず進めるべきだ」とする。与党の公明党も同じ考えだ。核保有国と非保有国の橋渡し役を果たすならば、参加は欠かせないと自民党も認めるべきである。

 核兵器が存在し続ける限り、79年前の悲劇が繰り返され、人類が破滅に向かうリスクは消えない。被爆国の首相と政府には、高齢化が進む被爆者たちの思いに応え、険しい核廃絶への道を模索し続ける覚悟が求められる。

(2024年9月25日朝刊掲載)

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