社説 戦争遺跡の消失危機 まずは全容把握の調査を
24年9月26日
太平洋戦争の旧日本軍施設を中心とした戦争遺跡が、来年の戦後80年を前に消失の危機を迎えている。
1996年に始まった文化庁の近代遺跡調査には市区町村から642遺跡の報告があり、リスト化されている。このうち約3割の180遺跡が原形をとどめていないことが共同通信の取材で明らかになった。開発や劣化が原因だ。
戦争体験者が減る中、その継承には「物言わぬ証人」と呼ばれる遺跡の重要性が高まる。一方で安全性や経済性の観点から全てを保存することは難しい。まずは実態把握を急ぎ、何をどう残すのか、住民を交えて議論を深めたい。
中国地方5県には、広島26▽山口24▽岡山18▽島根1▽鳥取8―の77遺跡がある。うち21遺跡の全部、または大部分が消失した。その一つ、出雲市の旧海軍大社基地跡は戦争遺跡としての評価が十分行われぬまま国から民間に払い下げられ大部分が宅地になった。保存運動を受け、市は基地跡一帯を調査して市所有部分を平和学習に活用する。
戦争遺跡を文化財にする道を開いたのは原爆ドーム(広島市中区)だった。96年の世界遺産登録の前提として国史跡となり、近代遺産調査へもつながった。
最近では軍都と被爆地の両方の歴史を背負う旧陸軍被服支廠(ししょう)(南区)を解体する広島県方針に反対運動が広がり、2021年に保存へ転換。国重要文化財に指定された。
ただ県内で被爆建物以外への関心は高まっていない。大久野島(竹原市)は日露戦争に備えた要塞(ようさい)が毒ガス工場に転じた。国史跡に値するはずなのに動きは停滞する。瀬戸内一帯の遺構では、有志のボランティアで維持しているところも少なくない。
肝心の文化庁は調査を踏まえた報告書をいまだ公表していない。旧軍の加害的側面を巡る記述が壁になっているとの指摘がある。ふたをするのではなく、伝える姿勢があってこそ、歴史を都合よく解釈する風潮を防ぎ、人々の歴史観は磨かれるのではないか。
国を待っていられないと、独自に全容調査に乗り出す自治体が相次ぐのは心強い。昨年の時点で島根、鳥取を含む10道県に上り、愛知県も昨年度から始めた。
福岡県の取り組みが参考になる。「戦争の記憶・記録を次代に継承していくことは、第2次世界大戦後、平和国家として再出発したわが国に課せられた非常に重要な使命」として1649件を調査。20年に報告書を公表し、昨年は同県行橋市の「海軍築城(ついき)航空基地稲童掩体(いなどうえんたい)」を旧軍施設として初めて文化財指定した。
これに対し調査を検討していない広島県などは、国が戦争遺跡の定義を示していない点を理由に挙げる。及び腰の国の定義はさておき、なぜ多くの軍事施設が造られ、どんな役割を担ったのか、地域はどう関わったのか、地方の視点で戦争を捉え直し、遺跡の価値を考えたい。専門家や在野の研究者の協力も得て議論の土台となる全容調査を急ぐ必要がある。歴史は人が残さなければ残らないのだから。
(2024年9月26日朝刊掲載)
1996年に始まった文化庁の近代遺跡調査には市区町村から642遺跡の報告があり、リスト化されている。このうち約3割の180遺跡が原形をとどめていないことが共同通信の取材で明らかになった。開発や劣化が原因だ。
戦争体験者が減る中、その継承には「物言わぬ証人」と呼ばれる遺跡の重要性が高まる。一方で安全性や経済性の観点から全てを保存することは難しい。まずは実態把握を急ぎ、何をどう残すのか、住民を交えて議論を深めたい。
中国地方5県には、広島26▽山口24▽岡山18▽島根1▽鳥取8―の77遺跡がある。うち21遺跡の全部、または大部分が消失した。その一つ、出雲市の旧海軍大社基地跡は戦争遺跡としての評価が十分行われぬまま国から民間に払い下げられ大部分が宅地になった。保存運動を受け、市は基地跡一帯を調査して市所有部分を平和学習に活用する。
戦争遺跡を文化財にする道を開いたのは原爆ドーム(広島市中区)だった。96年の世界遺産登録の前提として国史跡となり、近代遺産調査へもつながった。
最近では軍都と被爆地の両方の歴史を背負う旧陸軍被服支廠(ししょう)(南区)を解体する広島県方針に反対運動が広がり、2021年に保存へ転換。国重要文化財に指定された。
ただ県内で被爆建物以外への関心は高まっていない。大久野島(竹原市)は日露戦争に備えた要塞(ようさい)が毒ガス工場に転じた。国史跡に値するはずなのに動きは停滞する。瀬戸内一帯の遺構では、有志のボランティアで維持しているところも少なくない。
肝心の文化庁は調査を踏まえた報告書をいまだ公表していない。旧軍の加害的側面を巡る記述が壁になっているとの指摘がある。ふたをするのではなく、伝える姿勢があってこそ、歴史を都合よく解釈する風潮を防ぎ、人々の歴史観は磨かれるのではないか。
国を待っていられないと、独自に全容調査に乗り出す自治体が相次ぐのは心強い。昨年の時点で島根、鳥取を含む10道県に上り、愛知県も昨年度から始めた。
福岡県の取り組みが参考になる。「戦争の記憶・記録を次代に継承していくことは、第2次世界大戦後、平和国家として再出発したわが国に課せられた非常に重要な使命」として1649件を調査。20年に報告書を公表し、昨年は同県行橋市の「海軍築城(ついき)航空基地稲童掩体(いなどうえんたい)」を旧軍施設として初めて文化財指定した。
これに対し調査を検討していない広島県などは、国が戦争遺跡の定義を示していない点を理由に挙げる。及び腰の国の定義はさておき、なぜ多くの軍事施設が造られ、どんな役割を担ったのか、地域はどう関わったのか、地方の視点で戦争を捉え直し、遺跡の価値を考えたい。専門家や在野の研究者の協力も得て議論の土台となる全容調査を急ぐ必要がある。歴史は人が残さなければ残らないのだから。
(2024年9月26日朝刊掲載)