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社説・コラム

[知っとる? ヒロシマ調べ隊] あらゆる人が犠牲 全容未解明

Q 外国人も原爆に遭ったの?

 1945年8月6日、米軍が投下した原爆によって命を奪われたのは日本人だけではありません。さまざまな事情で広島にいた外国人が被爆し、犠牲になりました。

 当時の広島には、日本の植民地だった朝鮮半島出身者が多く暮らしていました。中には徴兵や徴用などで日本に連れて来られた人もいました。ほかにも東南アジアや中国などからの留学生、ドイツなど欧州出身の神父ら聖職者、亡命していたロシア人家族らもいました。米国から親の古里に帰っていた日系人や、市中心部に収容された米兵捕虜がいたことも忘れてはなりません。原爆は国籍や立場に関係なく、あらゆる人々を傷つけたのです。

 外国人犠牲者数や被爆状況についてはこれまで数々の調査がなされてきましたが、当時何人が広島にいてどのように亡くなったか、被爆から80年たとうとする今も全容は解明されていません。

 命を取り留めた外国人被爆者の多くは戦後、祖国に帰りました。北米や南米に戻った日系人のほか、新たに海外に移住した日本人被爆者もいます。このように日本以外の地で暮らす被爆者は「在外被爆者」と呼ばれます。

 厚生労働省によると、海外在住の被爆者健康手帳所持者は今年3月末時点で2388人。内訳は韓国が1678人と最も多く、米国555人、ブラジル71人、カナダ25人―と続きます。在外被爆者は長年、被爆者援護法の枠外に置かれてきましたが、日本政府は現在、援護法に基づき国外からの手帳交付申請や各種手当の支給などの施策を講じています。ただ国交のない北朝鮮などの被爆者は置き去りになっているのが現状です。

 在外被爆者が日本の被爆者同等の援護が受けられるよう支えてきた田村和之広島大名誉教授は「なぜ彼らは被爆したのか。在外被爆者の多様な背景や歴史を知ることは日本の戦後補償の問題や米国の原爆投下責任を考えることにもつながる」と指摘しています。(森田裕美)

(2024年9月30日朝刊掲載)

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