けいざいトリビア お好み村のお地蔵さん(広島市中区) 被爆の幼い妹と弟供養
24年10月3日
お好み焼き店23店が入る広島の名所、お好み村(広島市中区)。1階の広場に、台座を含め高さ約1・7メートルの「新天地地蔵尊」がひっそりたたずんでいる。なぜここにまつられているのだろう。
ビル持ち主が建立
1992年始め、お好み村が入るビルの建て替えと同時に、ビルのオーナー住田一也さん(92年11月に71歳で死去)が原爆の犠牲になった子どもたちの供養にと建立した。自身も戦地のインドネシア・スマトラ島に赴いている間に、原爆で妹の文子さん=当時(12)、弟の照雄さん=当時(9)=を失った。
「部隊へ向かう日に広島駅で『行っちゃいけん』と泣いた妹の声が耳に残っている」。生前、こう漏らしていた。戦後はシンガポールに抑留され、広島に戻ったときには家族の死から2年近くが経過。地蔵の建立を見届けると、1年もたたず息を引き取った。
地蔵の周りの水盤や水鉢は水を求めた被爆者を思って配置したが、ここへのたばこのぽい捨てが後を絶たない。酒類卸の住田(中区)の一英社長は、父一也さんの思いを継承。敬う気持ちを持ってもらう雰囲気にするため、改修案を専門学生から募り、12月末ごろの完成を目指す。
一英社長は「身近な街角から父の平和への思いを発信したい」と話している。(森岡恭子)
(2024年10月3日朝刊掲載)
ビル持ち主が建立
1992年始め、お好み村が入るビルの建て替えと同時に、ビルのオーナー住田一也さん(92年11月に71歳で死去)が原爆の犠牲になった子どもたちの供養にと建立した。自身も戦地のインドネシア・スマトラ島に赴いている間に、原爆で妹の文子さん=当時(12)、弟の照雄さん=当時(9)=を失った。
「部隊へ向かう日に広島駅で『行っちゃいけん』と泣いた妹の声が耳に残っている」。生前、こう漏らしていた。戦後はシンガポールに抑留され、広島に戻ったときには家族の死から2年近くが経過。地蔵の建立を見届けると、1年もたたず息を引き取った。
地蔵の周りの水盤や水鉢は水を求めた被爆者を思って配置したが、ここへのたばこのぽい捨てが後を絶たない。酒類卸の住田(中区)の一英社長は、父一也さんの思いを継承。敬う気持ちを持ってもらう雰囲気にするため、改修案を専門学生から募り、12月末ごろの完成を目指す。
一英社長は「身近な街角から父の平和への思いを発信したい」と話している。(森岡恭子)
(2024年10月3日朝刊掲載)