ガザとヒロシマ 戦闘開始1年 <上> 「苦痛いつまで」
24年10月4日
le="font-size:106%;font-weight:bold;">増える死者 古里思い悲痛
le="font-size:106%;font-weight:bold;">「戦禍 目をそらさないで」
「人生で最もつらい1年だ」。広島県内に住む大学院研究員タレク・アメンさん(39)は、悲痛な面持ちでイスラエル軍とイスラム組織ハマスの戦闘が始まった昨年10月7日からの約1年間を振り返る。パレスチナ自治区ガザの出身。古里に住むアメンさんの両親と4人の子を抱える兄一家は、度重なる爆撃と食糧難で、とうに追い詰められている。
雨水を飲み、家畜用の穀物飼料で命をつないだ日もあるという。子どもたちは学校に通えず、空腹にあえぎながら、まきを集める日々だ。
取材中、アメンさんがガザに電話し、兄とビデオ通話で何とかつながった。「体重は約20キロも減った」。たどたどしい英語での訴えから、切迫ぶりが痛いほど伝わってきた。
帰郷できぬまま
アメンさんは2015年に廃水処理技術を研究するため来日して以降、帰郷できないままだ。餓死者も相次ぐ古里と、そこに住む人々を思うたび打ちのめされる。ガザでの死者は4万人を超えるというが、実際にはさらに多いとみられる。大半が市民で、しかも子どもが犠牲になっている。
アメンさんが即時停戦を願わない瞬間はない。だが、中東の混迷は深まるばかりだ。
イスラエル軍は、ヨルダン川西岸でも攻撃を繰り返し、パレスチナ人650人以上が犠牲になっている。さらに、親イラン民兵組織ヒズボラの掃討を理由にレバノン南部へ地上侵攻。対するイランは報復に出た。この期に及んでも国連は無力で、先進7カ国に至っては破壊行為を助長しているようにすら見える。
1年前の衝撃はハマスの「奇襲」が全てだとイスラエルは強調するが、1948年のイスラエル建国以降の「私たちに対する抑圧こそが始まりだ」とアメンさんは強調する。シャツの胸に「(戦闘開始から取材を受けた日までの)348日 (パレスチナ人が土地を追われ難民となってからの)76年」と手書きしたテープを貼る。
特にこの17年間、ガザは境界を封鎖され「天井のない監獄」と呼ばれる。「どうすれば人間らしい生活を送れるのか。私たちは十分苦しんだ」
エジプトから来日し、県内の大学院に通うヤスミン・エルモギールさん(27)は母がガザ出身だ。今もガザに親類がいる。
「慣れ」に危機感
人々が連綿と生活を営み、豊かな文化を育んできた地から奪われたのは何なのかを知ってほしい―。その一心から9月下旬、広島市中区のカフェ「ハチドリ舎」でイベントに参加し、パレスチナの伝統舞踊や衣装を解説。ハーブを使った料理を振る舞った。非日常の極みのさなかに、あえて市民一人一人の「日常」を伝えた。
幼い頃から何度も訪ねてきた地を思うと「自分には何もできない悔しさで苦しくなる」。そして問う。「世界はパレスチナ情勢に慣れてしまっていないか。今も戦禍に生きる人々から目をそらさないでほしい」。訴えは、79年前の原爆によって街も人も根こそぎ奪われた広島にも突きつけられている。(小林可奈)
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イスラエル軍とハマスの戦闘開始から7日で1年を数える。終わりが見えない未曽有の人道危機に、私たちはどう向き合うべきだろうか。
(2024年10月4日朝刊掲載)