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声 セミパラチンスクからヒロシマへ <上> 核実験被害者「助けて」 援助の裏で強い切迫感

 小さな花が咲き乱れる庭で、子どもたちの笑い声がはじけていた。

 「こんなこともできるんだよ」。レイラ・クゥルマンべコバさん(9)は、カメラの前で得意のフラフープを何度も披露してくれた。

 旧ソ連最大のセミパラチンスク核実験場があった中央アジア・カザフスタン。旧実験場に隣接するベスカラガイ地区にある障害者リハビリセンターで彼女と出会った。発達障害の疑いがあるという。

 1991年8月の閉鎖まで40年余りの間、繰り返された核実験は456回。軍事機密であり、周辺住民に放射性物質が拡散する危険性は知らされなかった。地区に住む彼女の曽祖父母も、静かに放射線を浴び続けた。彼女の障害との因果関係は不明だが、センターによると地元の行政は「否定できない」と認定した。

 センターに海外メディアが取材に入るのは初めてという。その存在は、現地で進む被害者援助の象徴にも映る。しかし、投げかけられた言葉は切迫感に満ちていた。「私たちを助けてほしい」

 最初の核実験から75年となる今年8月、セメイ市(旧セミパラチンスク市)と広島市は、平和や医療の分野で交流と連携を進める合意書を結んだ。

 核実験の被害者たちは今、何を思い、訴えているのだろう。それを知りたくて9月上旬、「核の風」が吹いた国を訪ねた。

(2024年10月7日朝刊掲載)

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