平和の折り鶴 指先に願い 福山 第2次大戦で父と兄亡くした全盲の西江さん 「みんな幸せに」カード配布
24年10月5日
第2次世界大戦で父と兄を亡くし、難病で全盲となった西江マサコさん(88)が、福山市内の介護施設で平和を願う鶴を折り続けている。困窮の中で3人の子を育てた母の背中を見て育ち、反戦への思いを強めてきた。家族がメッセージカードを添え、同施設や公共施設で折り鶴を配っている。(原未緒)
同市北本庄の「コミュニティケアセンター北本庄」の一室。「こうやって、端を触って合わせて折って…」。西江さんは一つ一つ手順を確かめるように、7センチ四方の折り紙で鶴を作り続ける。長女の田中三千代さん(60)が副施設長を務める同施設をショートステイで利用し、多い時は1日に30羽を仕上げる。
9歳の時、同市の軍需工場で働いていた父を福山空襲で失った。今も残る笠岡市の実家から赤く染まる福山市上空を見た翌日、父は全身にやけどを負いながら実家までたどり着いた。玄関先で倒れ込み、数日後に息を引き取った。
同じ頃、長兄が戦死した知らせが届く。死亡通知を抱いて泣く母の姿は今も忘れられない。母と次兄、三兄との4人の生活は貧しく、苦労の連続だった。近所の田畑を手伝って食料をもらったり、近くの川で貝や魚を取って売ったりして生活費にした。
結婚し子育てが落ち着いた50代の時、難病の網膜色素変性症と診断された。症状が進行し、60歳で全盲に。笠岡市内の視覚障害者の交流会で鶴の折り方を学び、80歳ごろから自宅で折り始めた。
昨夏に同施設の利用を始め、鶴を折る理由を尋ねる田中さんにこう答えた。「みんなの幸せと平和のため」。ロシアのウクライナ侵攻やパレスチナ自治区ガザの戦闘のニュースを耳にし、現地の親子を案じる。「戦争ではみんなが苦労した。二度としたら駄目」と力を込める。
田中さんはそんな西江さんの思いをカードに記して折り鶴に添え、今年から同施設への来客に手渡し、福山すこやかセンター(福山市三吉町南)などでも配っている。「母の願いを広げたい。鶴を折り続ける姿が、誰かの励みになれば」と話す。
(2024年10月5日朝刊掲載)
同市北本庄の「コミュニティケアセンター北本庄」の一室。「こうやって、端を触って合わせて折って…」。西江さんは一つ一つ手順を確かめるように、7センチ四方の折り紙で鶴を作り続ける。長女の田中三千代さん(60)が副施設長を務める同施設をショートステイで利用し、多い時は1日に30羽を仕上げる。
9歳の時、同市の軍需工場で働いていた父を福山空襲で失った。今も残る笠岡市の実家から赤く染まる福山市上空を見た翌日、父は全身にやけどを負いながら実家までたどり着いた。玄関先で倒れ込み、数日後に息を引き取った。
同じ頃、長兄が戦死した知らせが届く。死亡通知を抱いて泣く母の姿は今も忘れられない。母と次兄、三兄との4人の生活は貧しく、苦労の連続だった。近所の田畑を手伝って食料をもらったり、近くの川で貝や魚を取って売ったりして生活費にした。
結婚し子育てが落ち着いた50代の時、難病の網膜色素変性症と診断された。症状が進行し、60歳で全盲に。笠岡市内の視覚障害者の交流会で鶴の折り方を学び、80歳ごろから自宅で折り始めた。
昨夏に同施設の利用を始め、鶴を折る理由を尋ねる田中さんにこう答えた。「みんなの幸せと平和のため」。ロシアのウクライナ侵攻やパレスチナ自治区ガザの戦闘のニュースを耳にし、現地の親子を案じる。「戦争ではみんなが苦労した。二度としたら駄目」と力を込める。
田中さんはそんな西江さんの思いをカードに記して折り鶴に添え、今年から同施設への来客に手渡し、福山すこやかセンター(福山市三吉町南)などでも配っている。「母の願いを広げたい。鶴を折り続ける姿が、誰かの励みになれば」と話す。
(2024年10月5日朝刊掲載)