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日本被団協 ノーベル平和賞 「人類救う」悲願 受け止めよ

■ヒロシマ平和メディアセンター長 金崎由美

 「かくて私たちは自らを救うとともに、私たちの体験をとおして人類の危機を救おうという決意を誓い合った」。米軍が投下した原爆によって広島と長崎が壊滅してから11年後の1956年8月10日、日本被団協の結成大会で読み上げられた宣言「世界への挨拶(あいさつ)」の一節である。

 肉親の悲惨極まる死、身に刻まれたやけどやケロイド、原爆放射線がもたらす塗炭の苦しみ―。被爆者救済の法律もなく、差別と困窮にあえいでいた時代だった。広島で被爆した森滝市郎氏たちは「人類の危機」をも救うと決意した。「核と人類は共存できない」と貫いてきた原点の訴えは、被爆79年のノーベル平和賞に結実した。

 2017年に「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)が受賞した時、日本被団協との同時受賞とならなかったことに被爆地では落胆の声も聞かれた。だが皮肉にも、今年の受賞は時宜を得ているのではないか。

 せっかく発効した核兵器禁止条約に、米英など核保有全9カ国は背を向けたまま。ロシアやイスラエルからは核使用のどう喝が飛び出すなど核兵器が使われる危険は高まっている。パレスチナ自治区ガザをはじめ、世界に暴力と憎悪がまん延している。戦争も核兵器も絶対否定する被爆者の声は今こそ重みを持つ。

 忘れてはならないのは「唯一の戦争被爆国」をうたう日本政府が米国の「核の傘」への依存を公言していることだ。

 被爆者の平均年齢は85歳を超える。受賞決定の知らせに、あの日、命を消された犠牲者、既に亡き被害者らの存在に思いをはせる被爆者と市民は少なくないだろう。同時に、「人類の危機を救おう」という悲願の達成が核抑止という強国の論理に阻まれ続けていることに、怒りを禁じ得ない。

 核兵器を持つ国、それに頼る国の為政者たちの祝辞が口先だけなら意味がない。これまで以上に廃絶への「行動」を迫るべく、被爆者と、被爆者運動を継ぐ世代が決意を新たにする契機としたい。

(2024年10月12日朝刊掲載)

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