受賞 ゴールではない 核兵器使用のブレーキ役 日本被団協 箕牧代表委員
24年10月13日
ノーベル平和賞受賞が決まった日本被団協の代表委員で広島県被団協の箕牧(みまき)智之理事長(82)が12日、広島市中区で中国新聞のインタビューに応じた。被爆者運動が核兵器使用の「ブレーキ役になった」と強調。一方で、被爆79年の今も世界各地で子どもを含む市民が戦火の巻き添えになっている現状に強い危機感を示した。(下高充生)
―11日の受賞決定から一夜明け、実感は湧きましたか。
宿泊先のホテルで朝食を食べていたら、宿泊客やスタッフから「おめでとう」と次々に声をかけられた。日本被団協の代表委員を務めた谷口稜曄(すみてる)さん(2017年に88歳で死去)や坪井直(すなお)さん(21年に96歳で死去)たちの活動があっての受賞だと思う。
―ノーベル賞委員会による「日本被団協と被爆者の代表らによる努力が核のタブーの確立に貢献した」との評価をどう受け止めますか。
放っておいたら核兵器が使われていたかもしれない中で、私たちがブレーキ役になってきたということだろう。ただ、訴えても、訴えても、世界に届かないという歯がゆい思いもある。今もパレスチナ自治区ガザなどでは子どもが血を流している。政治家は、子どもまで巻き込んで戦争をしていいかどうか、なぜ分からないのだろうか。
―被爆者の平均年齢は85歳を超え、各地で被爆者団体の解散が相次いでいます。
被爆者は生きているうちに核兵器をなくしてくださいと訴えてきた。受賞は大きな弾みになるが、ゴールではない。被爆2世、一般の方にも平和、核兵器、戦争について考えてもらいたい。核兵器廃絶を求める署名活動に関心を持ってくれる人が増えるのを期待する。来年3月にある核兵器禁止条約の第3回締約国会議に日本政府は最低でもオブザーバー参加してほしい。
みまき・としゆき
1942年東京都生まれ。45年3月の東京大空襲を経験後、父親の故郷の広島県に疎開し、入市被爆した。99年から旧豊平町議、北広島町議を各2期務めた。亡き坪井直さんの後任として2021年11月に県被団協理事長、22年6月に日本被団協代表委員に就いた。
(2024年10月13日朝刊掲載)
―11日の受賞決定から一夜明け、実感は湧きましたか。
宿泊先のホテルで朝食を食べていたら、宿泊客やスタッフから「おめでとう」と次々に声をかけられた。日本被団協の代表委員を務めた谷口稜曄(すみてる)さん(2017年に88歳で死去)や坪井直(すなお)さん(21年に96歳で死去)たちの活動があっての受賞だと思う。
―ノーベル賞委員会による「日本被団協と被爆者の代表らによる努力が核のタブーの確立に貢献した」との評価をどう受け止めますか。
放っておいたら核兵器が使われていたかもしれない中で、私たちがブレーキ役になってきたということだろう。ただ、訴えても、訴えても、世界に届かないという歯がゆい思いもある。今もパレスチナ自治区ガザなどでは子どもが血を流している。政治家は、子どもまで巻き込んで戦争をしていいかどうか、なぜ分からないのだろうか。
―被爆者の平均年齢は85歳を超え、各地で被爆者団体の解散が相次いでいます。
被爆者は生きているうちに核兵器をなくしてくださいと訴えてきた。受賞は大きな弾みになるが、ゴールではない。被爆2世、一般の方にも平和、核兵器、戦争について考えてもらいたい。核兵器廃絶を求める署名活動に関心を持ってくれる人が増えるのを期待する。来年3月にある核兵器禁止条約の第3回締約国会議に日本政府は最低でもオブザーバー参加してほしい。
みまき・としゆき
1942年東京都生まれ。45年3月の東京大空襲を経験後、父親の故郷の広島県に疎開し、入市被爆した。99年から旧豊平町議、北広島町議を各2期務めた。亡き坪井直さんの後任として2021年11月に県被団協理事長、22年6月に日本被団協代表委員に就いた。
(2024年10月13日朝刊掲載)