原爆前日疎開の寺に記念碑 甲田の高林坊 広島大医学部の「起点」
24年10月16日
広島大医学部の前身、県立医学専門学校の学生たちが原爆投下の前日に疎開した安芸高田市甲田町の浄土真宗本願寺派高林坊に14日、当時を伝える記念碑が建立された。2025年に医学部創立80周年と同部同窓会「広仁会」70周年を迎えるため、広島大と同窓会が記念事業として起点となった地への感謝の思いと誓いを形にした。(胡子洋)
広島大によると、専門学校は1945年2月に設立認可を受け、同8月5日に現在の広島市南区で開校式を開いた。その日夜、新入生約170人のうち教職員を含む約120人が高林坊へ疎開し、被災を免れた。学校は全焼。学生は高林坊で数カ月、勉学に励んだという。その後、県立医科大、広島医科大を経て53年に広島大医学部となった。
境内に据えられた碑は幅170センチ、高さ124センチ、奥行き110センチ。「疎開之地」と刻み、講堂で学ぶ学生の様子を描いた陶板を埋め込んだ。
現地での除幕式には、越智光夫学長や広仁会の小林正夫会長、歴代学長たち約20人が出席した。越智学長は当時に思いをはせ、「まさに奇跡。この地が起点となり今がある」と強調。日本被団協のノーベル平和賞受賞決定に触れ「医学研究者も常に平和を希求し、世界の医療に貢献する人になってほしい」と述べた。
専門学校の新入生として疎開した岸槌昭夫さん(97)=呉市=も出席。疎開した翌朝、原爆投下による光を見たという。記念碑を前に「感無量。戦後、日本は戦争を経験することなく成長を遂げた。戦争は絶対にしてはならない」と語った。
(2024年10月16日朝刊掲載)
広島大によると、専門学校は1945年2月に設立認可を受け、同8月5日に現在の広島市南区で開校式を開いた。その日夜、新入生約170人のうち教職員を含む約120人が高林坊へ疎開し、被災を免れた。学校は全焼。学生は高林坊で数カ月、勉学に励んだという。その後、県立医科大、広島医科大を経て53年に広島大医学部となった。
境内に据えられた碑は幅170センチ、高さ124センチ、奥行き110センチ。「疎開之地」と刻み、講堂で学ぶ学生の様子を描いた陶板を埋め込んだ。
現地での除幕式には、越智光夫学長や広仁会の小林正夫会長、歴代学長たち約20人が出席した。越智学長は当時に思いをはせ、「まさに奇跡。この地が起点となり今がある」と強調。日本被団協のノーベル平和賞受賞決定に触れ「医学研究者も常に平和を希求し、世界の医療に貢献する人になってほしい」と述べた。
専門学校の新入生として疎開した岸槌昭夫さん(97)=呉市=も出席。疎開した翌朝、原爆投下による光を見たという。記念碑を前に「感無量。戦後、日本は戦争を経験することなく成長を遂げた。戦争は絶対にしてはならない」と語った。
(2024年10月16日朝刊掲載)