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社説・コラム

[歩く 聞く 考える] 特別論説委員 宮崎智三 日本被団協にノーベル平和賞

薄氷の上の抑止論 抜け出さねば

 日本被団協のノーベル平和賞受賞が決まった。1990年代から四半世紀余り、取材現場で被爆者に関わってきた筆者にとってさえも、この上ない喜びだ。

 被爆者運動の長年の苦労がようやく報われたという感慨が湧いてくる。同時に、何か焦りのような気持ちも感じる。

 核兵器の使用は道徳的に許されない。そんな国際的「禁忌」を醸成させたのだから平和賞は当然である。むしろ遅きに失した。被爆40年の節目の85年に推薦されたのを機に、何度も候補に挙がった。もう少し早ければ、朗報を共に喜べた被爆者たちの顔が、その言葉と共に幾つも浮かんでくる。

 日本被団協の代表委員や広島県被団協の理事長を務め、3年前に亡くなった坪井直(すなお)さん。「核兵器がなくなるまで喜ぶことはできない」と、平和賞を逃した2015年の会見で述べていた。ノーベル賞より核兵器廃絶の方が大事だから、受賞が決まっても大喜びすべきではない。今は、私たちをそう戒めているようにも取れる。

 「原爆の惨禍はどんなにオーバーに言ってもオーバーにならん。あの日、歩いて見た市中心部は地獄の一語に尽きる」。本紙カメラマンとして、原爆投下の当日に市民の惨状を撮影した故松重美人(よしと)さんの言葉も脳裏によみがえる。

 「こんな苦しみを他の人たちには体験させちゃいけん」。そう語った被爆者は長年、核実験反対の座り込みの先頭に立っていた。「被爆者は核実験を許さない。その姿勢を見せ続けんといけん」

 別の被爆者は、原爆の惨状を絵画を通して世に問うた。「原爆があったんじゃ、人類が絶滅してしまう」

 被爆者たちの願いを形にしたような核兵器禁止条約が17年に採択された。使用はもちろん、開発から保有まで全面的に禁じる内容に対し、九つある保有国は全て、そっぽを向いたまま。足元の被爆国日本の政府も、核抑止論から抜け出そうとはせず、被爆者の求める締約国会議へのオブザーバー参加を拒んでいる。

 被爆者が元気なうちに核兵器のない世界を実現させる。被爆80年を目前にしてもなお、道半ばだ。残された時間を考えると、焦る気持ちは抑えられない。

 あろうことか、ロシアはウクライナに武力侵攻し、核兵器の使用すらちらつかせている。歯止めをかけるべき立場の国連は、安全保障理事会の常任理事国による国際法違反の暴挙になすすべがない。中東では、核保有国のイスラエルを軸に戦火が広がる一方だ。

 ひとたび核兵器が使われれば、被団協の築いてきた核兵器を使ってはならないという「禁忌」は崩壊する。ウクライナ周辺や中東などで、禁忌がもし破られれば、全面核戦争にエスカレートする恐れがある。人類の自滅につながりかねない。

 核が使われるかもしれない危機にあるからこそ、被団協が平和賞に選ばれた。ならば、私たちの進むべき道は明らかだ。

 何より、被爆国の核政策を抜本的に改めさせなければならない。先月の自民党総裁選では、原爆の惨禍を身をもって知る被爆者の訴えを軽んじた発言が相次いだ。

 核共有が、その一例だ。核保有国の増加を食い止めようとする核拡散防止条約(NPT)に逆行している。被爆国の政府が言い出せば、機能停止状態に陥っているNPTの土台を突き崩しかねない。NPTを重要視する従来の政府方針とも食い違う。

 政府は核兵器廃絶を口にしているが、究極の目標として遠ざけるだけで、具体的な行動には乗り出そうとしない。核抑止論に依存した現状の言い訳に聞こえる。核政策を巡る総裁選での発言からは、そんな政権を支える与党のリーダーたちの腹が透けるようだ。

 そもそも核抑止論は、核兵器の存在を認め、人類自滅の導火線を野放しにしてしまう。核兵器がある限り、使われるリスクは付きまとう。そんな核抑止論に頼るのは、いつ割れるか分からない薄氷の上で軍拡のダンスを続けるようなものではないか。いつかは氷が重みに耐えられなくなる。一刻も早く核抑止論の虚妄から抜け出さない限り、持続可能な平和は永遠に得られまい。

 被爆者の願う核兵器廃絶の実現には、軍備増強を続けるロシアや中国、北朝鮮といった専制的な国の説得も欠かせない。険しい道のりだが、坪井さんが繰り返していた「決して諦めない」との言葉を思い起こしておきたい。

 人類の自滅か、核兵器廃絶か。広島、長崎の問いは政治家だけでなく、私たち一人一人にも向けられている。核と人類は共存できない―。答えは、被団協が明らかにしている。後は行動するだけだ。

(2024年10月17日朝刊掲載)

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