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連載・特集

広島と映画 <3> 女優 岡本真実さん 「助太刀屋助六」 監督 岡本喜八(2002年公開)

父の最終作 「家族」が結集

 岡本喜八生誕100年を迎えた今年、広島市を訪れた。「助太刀屋助六」が市映像文化ライブラリーで上映されると知り、とにかく無性に行きたくなったのだ。

 生前の父は「なんで、いろんな監督は自分の撮ったモノ(映画)をまた撮るンだろうか。俺はやらない」と、次女の私には言っていた。でも、1969年にテレビ放映したドラマ「仇(あだ)討ち 助太刀屋助六」を焼き直したのである。それが結局、2005年に81歳で亡くなった喜八監督39本目、父の最終作となった。

 米子市生まれの父は、古里や祖父に対して悪態をついた。67年の「日本のいちばん長い日」、68年の「肉弾」の撮影当時から構想し、葬式を終えた祖父への追悼を込めて、ペンネームで執筆した作品が時代劇「助太刀屋助六」だった。

 映画のロケは01年、広島県沼隈町(現福山市)の豊かな自然に囲まれた「みろくの里」にある時代劇のオープンセットで行われた。藤倉博プロデューサーによると、選んだ理由は二つ。まずは企画段階から尽力くださり、美術監督を務めた映像京都社長の西岡善信さんからの推薦だ。二つ目は、常石グループを中心とした地域挙げての手厚い支援だった。ホテルや病院も近く、撮影を進める上でどんなに助かったか計り知れない。それは父の体調が最悪だったからである。

 95年公開の前作「EAST MEETS WEST」を米国サンタフェで撮影中、父はホテルのベッドから落ちて、頭をけがした。打撲は、脳と頭蓋骨をつなぐ橋のような血管を断ち切った。普段から無口な人がさらに言語障害になれば、撮影現場での意思表示は難しくなる。

 診断名は「橋(きょう)静脈慢性硬膜下血腫」。帰国後に手術を受けるも、70歳を超えて体力の衰えを痛感したようだ。切望したウエスタンだったが、思うようなテンポが出せない。公開後は主演の真田広之さんと2人で再編集したディレクターカット版を発表した。この時に「次回作も真田さんで撮りたい」と考えた。「彼なら演出もできるし、アクションシーンも任せられる」と信頼が一層深まったのだ。

 自分史と重なる「源流」のような作品、「助太刀屋助六」を映画としてリメークする大きな方向転換を決めた。プロデューサーとして父を長年支えた母の岡本みね子は「自らの限界を知ったのだろう」と述懐する。多くのスタッフが監督を支える、米国の現場での体験を踏まえて企画を押し進めた。

 みろくの里には、仲代達矢さん、岸田今日子さんをはじめ「喜八ファミリー」が結集した。助六を演じた真田さんは、父の具合が悪い時には率先してアクション指導をしてくれたと聞く。私は「すけろく‼」と群衆の中で叫ぶ役、私の長女の理沙は村娘役で出演。夫の前田伸一郎と両親も来てくれた。3世代で撮影を見守ることができたのは何よりの思い出だ。

おかもと・まみ
 1962年、川崎市生まれ。文学座の研究所を経て、無名塾で学ぶ。舞台やドラマのほか、映画「ジャズ大名」「大誘拐 RAINBOW KIDS」「ゆずり葉の頃」などに出演。喜八プロダクション社長。 はと
 1981年、大竹市生まれ。本名秦景子。絵画、グラフィックデザイン、こま撮りアニメーション、舞台美術など幅広い造形芸術を手がける。

作品データ

日本/88分/日活、フジテレビ
【脚本・原作】生田大作(岡本喜八)【音楽】山下洋輔【撮影】加藤雄大【照明】中岡源権【録音】横野一氏工【編集】川島章正
【出演】鈴木京香、村田雄浩、鶴見辰吾、風間トオル、本田博太郎、友居達彦、山本奈々、岸部一徳、小林桂樹、竹中直人

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 映画を愛する執筆者に広島にまつわる映画を1本選んで、見どころや思い出を紹介してもらいます。随時掲載します。

(2024年9月21日朝刊掲)

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