天風録 『戦争と子どもたち』
24年10月20日
広島への原爆投下で傷ついた人たち。カメラを向けたが、ファインダーが涙で曇ってしまった。何とかシャッターを切って貴重な写真を残した。そのカメラマン故松重美人(よしと)さんも、写せなかった場面があった▲終戦の約2カ月後、親元を離れて県北に疎開していた子どもたちが帰ってきた。迎えにきた家族と大喜びする仲間を傍らで数人がぼうぜんと眺めている。一家全滅で迎えは来ない。ほとんど無言で、すすり泣く子も。痛まし過ぎて撮影できなかった▲疎開しなかった子どもにも容赦なく、原爆は牙をむいた。特に、防火のための建物解体に駆り出されていた中高生たち。6千近い命が奪われた。生き残っても、放射線に襲われる。白血病で倒れた子どもは佐々木禎子さんだけではない▲原爆は軍事施設でなく、街の真ん中を目がけて落とされた。犠牲者の多くが子どもや女性といった社会的に弱い立場の者だったのも当然だ。未来も奪われてしまう子どもたちこそ、戦争の最大の犠牲者なのではないか▲戦場となったウクライナやガザのどこかで今も、多くの子どもたちが血や涙を流していることだろう。曇りなき目で見る限り、そんな姿がくっきり見えるはずだ。
(2024年10月20日朝刊掲載)
(2024年10月20日朝刊掲載)