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[ヒロシマドキュメント 1945年] 10月24日 赤十字職員 核禁止訴え

 1945年10月24日。赤十字国際委員会(ICRC)駐日代表部職員のフリッツ・ビルフィンガーさん(93年死去)は、原爆を巡る機密報告書を書き上げた。8月30日に広島の病院を視察してマルセル・ジュノー駐日首席代表に電報で救援物資を求めた後も、被害実態を詳しく記録していた。

 「爆心地近くの通りにいた犠牲者は完全に焼かれ、誰か見分けがつかなかった」。現地での聞き取りも踏まえて被爆後の惨状を説明。歯茎の出血や白血球減少の症状が出て死亡した被爆者4人の症例を添え、放射線の影響の深刻さを伝えた。

 「結論」では、こう訴えた。「ICRCは原子力を破壊兵器に使うことを禁止するために影響力を行使すべきだ」

 ICRCは報告書をスイス・ジュネーブの本部の文書館で保存。2010年の総裁声明で核兵器の非人道性に焦点を当て、17年の核兵器禁止条約制定へ機運を高めた。

 一方、日本政府も45年8月10日に「新型爆弾」使用を米国に抗議していた。中立国スウェーデンの岡本季正公使は、重光葵外相への29日付電報(外交史料館所蔵)で英紙の投書欄などから連合国の国民にも原爆投下に良心の呵責(かしゃく)が読み取れるとし、進言した。

 「(原爆が)非人道極マルモノナル点ヲ議会又ハ放送ノ他凡(あら)ユル機会ヲ利用シテ巧ニ発表シ敵ノ弱点ヲ衝(つ)ク余地アリ」

 原爆の非人道性を強調し、日本に「相当苛酷ナル措置」(電報)を取るのを望む連合国内の世論を変える意図がにじむ。日本が受諾したポツダム宣言第10項は「俘虜(ふりょ)を虐待せる者を含む一切の戦争犯罪人に対しては厳重なる処罰を加えられるべし」としていた。

 米国側の9月15日付の電報傍受報告書によれば、重光外相は13日、米国側が日本の捕虜虐待問題を批判しており、日本としては原爆問題を宣伝工作に利用すべきだとスイスなど中立国3カ国の公使に伝えた。ただ、連合国軍総司令部(GHQ)が19日、原爆報道も制限されるプレスコードを発令。やがて中立国にあった公館も閉鎖され、もくろみはついえた。(編集委員・水川恭輔)

(2024年10月24日朝刊掲載)

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