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[ヒロシマドキュメント 1945年] 10月26日 奨励館そばにバラック

 1945年10月26日。大破した広島県産業奨励館(現広島市中区の原爆ドーム)のそばに、営みを再建する動きが見られた。爆心地近くで壊滅した猿楽町の一角。広島県商工経済会(現広島商工会議所)から撮られた写真に、5日の同じ場所の写真(今月5日付本連載で紹介)では確認できない建物の土台が写る。

 原爆資料館によると、その一角で川本福一さん(70年死去)が戦前から自転車卸業「川本商会」を営んでいた。川本さんは9月20日ごろから焼け跡の整理を始めたと、手記に書き残す。

 8月6日、宇品(現南区)に向かう途中に大けがを負い、妻艶子さん=当時(48)=と、六女郁江さん=同(17)=を失った。市郊外の別荘と焼け跡を行き来してなりわいの再建を図った。写真をたどると、11月にはバラックが形作られている。

 猿楽町に戻って間もない頃、奨励館のがれきの中に小鳥が運んできた木の実が芽を出しているのを見つけ、「広島は生きていた」と痛感したという。以来、芽をいくつも移植して育てた。今、ドームの周りで大木になっている。(山本真帆)

(2024年10月26日朝刊掲載)

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