ドイツ人捕虜の健康診断書発見 第1次大戦中 似島に収容 健康状態「良好」 就職用か 広経大教授が入手
24年11月5日
第1次世界大戦中に似島(広島市南区)の収容所で暮らしたドイツ人捕虜の健康診断書が見つかった。広島経済大の竹林栄治教授(日独交流史)が親族から譲り受けたもので、捕虜からの解放直後に書かれている。竹林教授は「就職のために発行したのではないか」とみている。(馬上稔子)
1917~20年に似島に収容されたドイツ人、フリッツ・リートケさんの診断書で、捕虜の解放日(19年12月)直後の20年1月10日付となっている。「Tomenoshin Endo」という収容所の軍医名と印鑑もある。部隊や階級、幼少期の病歴などがドイツ語で記され、健康状態は「Gut(良好)」とある。
竹林教授によると、解放後、すぐには帰国しなかった人に診断書を発行したとみられ、その数自体が少ないという。母国に帰らなかった捕虜の中には、インドネシアなどへの渡航を希望する人もいたとして「診断書があれば、就職がスムーズだったのではないか」と話している。
昨年リートケさんの親戚が似島を訪れた際に、診断書を竹林教授に託した。竹林教授は「捕虜として何年も過ごしながら、健康で解放されている。日本軍が国際法にのっとって捕虜を丁寧に扱ったと分かる資料であるだけでなく、戦争に翻弄(ほんろう)された人々の存在の証しでもある」と話す。
全国にあったドイツ人捕虜の収容所に詳しい高知大の瀬戸武彦名誉教授は「私も含め、研究者の間でも存在を知られていなかった資料。呉などの軍の拠点に近かった似島に関しては他の収容所に比べても資料が少なく、貴重だ」と話す。
竹林教授は指導する学生たちとともに、9日午前11時から、南区の比治山陸軍墓地で、解放を待たずに亡くなったドイツ人の追悼式を開く。見つかった診断書についても会場で紹介する。
(2024年11月5日朝刊掲載)
1917~20年に似島に収容されたドイツ人、フリッツ・リートケさんの診断書で、捕虜の解放日(19年12月)直後の20年1月10日付となっている。「Tomenoshin Endo」という収容所の軍医名と印鑑もある。部隊や階級、幼少期の病歴などがドイツ語で記され、健康状態は「Gut(良好)」とある。
竹林教授によると、解放後、すぐには帰国しなかった人に診断書を発行したとみられ、その数自体が少ないという。母国に帰らなかった捕虜の中には、インドネシアなどへの渡航を希望する人もいたとして「診断書があれば、就職がスムーズだったのではないか」と話している。
昨年リートケさんの親戚が似島を訪れた際に、診断書を竹林教授に託した。竹林教授は「捕虜として何年も過ごしながら、健康で解放されている。日本軍が国際法にのっとって捕虜を丁寧に扱ったと分かる資料であるだけでなく、戦争に翻弄(ほんろう)された人々の存在の証しでもある」と話す。
全国にあったドイツ人捕虜の収容所に詳しい高知大の瀬戸武彦名誉教授は「私も含め、研究者の間でも存在を知られていなかった資料。呉などの軍の拠点に近かった似島に関しては他の収容所に比べても資料が少なく、貴重だ」と話す。
竹林教授は指導する学生たちとともに、9日午前11時から、南区の比治山陸軍墓地で、解放を待たずに亡くなったドイツ人の追悼式を開く。見つかった診断書についても会場で紹介する。
(2024年11月5日朝刊掲載)