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日本被団協にノーベル平和賞 僧侶・元教員の吉川徹忍さんに聞く 宗教通じた平和活動に弾み

被爆証言の広がり 基盤つくってくれた

人間は過ち犯す 認めて自己問う方向へ

 日本被団協のノーベル平和賞決定を、特別な思いで受け止めた宗教者がいる。浄土真宗本願寺派永照寺(島根県飯南町)僧侶で元教員の吉川徹忍(きっかわてつにん)さん(75)=広島市東区。長年平和活動に携わり、被爆者の証言の重みを痛感してきた。核兵器廃絶を願う地道な歩みに光が当たったことで「仏教の教えに基づき、戦争と核兵器の存在を許さないと声を上げ続ける励みになる」と話す。(山田祐)

  ≪教員として、子どもたちと一緒に被爆体験を聞き取る活動を続けてきた吉川さん。草の根の活動の基盤になってくれたのが日本被団協だったという。≫

 言語に絶するほどの悲惨な体験を経て、苦悩を抱えながらも必死で生きた被爆者の皆さんが手を携え合ってつくった団体です。一枚岩になることは簡単ではなく、紆余(うよ)曲折もたくさんあったと思います。核兵器の非人道性を訴え続けた営みが世界に認められたことを、心からうれしく思います。

 私自身は最初は小学校、途中からは中学と高校の教員として、教育を基軸に置きながら平和の尊さを発信しようと努めてきました。

 原爆に焼かれた瓦を元安川から掘り起こす活動に児童を引率して参加しました。ある児童は作文に「(瓦から)叫びやうめきが聞こえるようだ」とつづりました。

 屋根の下に暮らしていた人々の命、理不尽に焼かれた苦しみ―。自然と思いをはせてくれたのです。物事の真理を見極める仏教の「智慧(ちえ)」の意味を子どもに教わったように思えました。

 地域に住む被爆者の皆さんと中高生たちの交流も忘れられません。家族にすら語ったことがなかった証言をしてくれたお年寄りがいました。語り始めるまでの長い沈黙から、つらい経験を口にすることがいかに大変なことなのかを知りました。生徒も胸に刻んでくれたと思います。

 そうした取り組みを続けることができたのも、日本被団協が長年の歩みを通して基盤をつくってくれたからです。それがなければ被爆者の証言がこれほどまで広がることはなかったでしょう。

 ≪ノーベル賞委員会が発表した授賞理由では、被爆者の証言活動が「核のタブー」確立に貢献したとたたえられている。吉川さんが真っ先に思い浮かべたのが、長年にわたり北朝鮮在住の被爆者支援に尽くした李実根(リシルグン)さん(2020年に90歳で死去)だった。≫

 日本被団協としての取り組みにとどまらず、一人一人の被爆者の証言の重みにも光が当てられました。被団協の一員として頑張っている人もいれば、身近な人にこつこつと証言を続けている人もいる。その全てがノーベル賞の対象に含まれているように感じ取ることができました。

 たくさんの出会いの中で、私が特に大きく影響を受けたのが李実根さんでした。平和運動に打ち込んでいた縁で紹介を受けました。差別に苦しみながらも決して恨みを向けることはなく、北朝鮮で暮らす被爆者の実態解明と援護の実現に向けて人生をささげていました。その間近にいることができたのはかけがえのない思い出です。

 ノーベル賞委員会の授賞理由では「全ての被爆者に敬意」と述べられています。海外在住の被爆者の問題に目を注ぐ李さんたちの精神は、今を生きる私たちみんなで引き継いでいかなくてはならないものです。戦争や差別を許さない社会を実現するために。

 ≪世界各地で核保有国も当事者となって戦火が広がり、核兵器の使用が懸念される危機的な状況にある。≫

 日本被団協への授賞理由でもう一つ重要なのは、原爆を投下した主体として米国を名指しした点です。投下責任までは言及していませんが、当事者をはっきりと言葉にした意義は大きい。広島市でさえ言いよどみがちなことですから。

 教育現場に立ち続けた人間として思います。責任のある者がそれを受け止め、果たす姿を示してこその教育なのだと。話が日本の戦争責任に及ぶことを恐れる側面が強いのでしょうが、そこはきちんと追及してほしいと思います。

 仏教の教えに照らしてみても、人間は過ちを犯すものなんです。でも過ちがあったのならそれを認めて、自己を問うという方向に向かなくてはいけません。そうでなければ人類の発展などありえません。

 ロシアによるウクライナ侵攻、イスラエル軍のパレスチナ自治区ガザへの攻撃が続く中、今のところ核兵器が使われていないのは、被爆者の皆さんのこれまでの努力があってこそ。核兵器廃絶が実現する日まで、私も共に歩み続けたいと思います。

(2024年11月4日朝刊掲載)

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