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被爆者の恩師と教え子 再会 本紙きっかけ つらい体験 「私も語らんといけん」

 広島県府中町に暮らす106歳の被爆者三登登美枝さんが、かつての教え子で被爆者の竹之内耐子さん(94)=広島市南区=と約80年ぶりに再会した。互いに原爆で大切な家族を奪われた痛みを分かち合い、「同じことが繰り返されてはならない」と思いを共有した。

 きっかけは、三登さんが中国新聞ジュニアライターに被爆体験を語った8月5日付記事。懐かしい恩師の姿を見つけた竹之内さんが中国新聞社に手紙を寄せ、再会が実現した。元小学校教諭の三登さんは、熊野第一尋常高等小学校(現熊野第一小、広島県熊野町)で竹之内さんの担任だった。

 「よう思い出してくれた」。9月中旬、竹之内さんが暮らす高齢者施設を長男夫妻と訪ねた三登さんは、竹之内さんの手を握り再会を喜んだ。お互い車いすでの対面。約2時間、被爆体験やその後の人生を振り返った。

 1945年、畑賀村(現安芸区)に疎開していた三登さんは妊娠4カ月のとき、小町(現中区)にあった自宅の様子を見るため市内に入り被爆。爆心地近くにいた父を翌月、亡くした。竹之内さんもまた、市中心部にいたとみられる弟を捜して入市被爆していた。

 戦後は、竹之内さんも小学校教諭に。「誰に対しても同じように愛情を注いでいた」と三登さんを仰ぎ、30年余り教壇に立ち続けたという。

 その恩師が、若い世代につらい被爆体験を語る姿を新聞紙上で見つけ、胸を打たれた。「思い出したくない記憶を私も語らんといけん」。思いを新たにする竹之内さんに三登さんは「つらい体験は本当は言いとうないんよね」と応じつつ、「お互い長生きしてまた会いましょう」と固い握手を交わした。(小林可奈)

(2024年11月4日朝刊掲載)

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