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[ヒロシマドキュメント 1945年] 11月ごろ クスノキ 焼け焦げたまま

 1945年11月ごろ。広島市小町(現中区)の国泰寺境内で、市民に親しまれた国指定の天然記念物のクスノキが原爆の大火で焼け焦げたまま植わっていた。そばには根元から倒れた1本もあった。

 「日本案内記 中国・四国編」(42年改版)によると、樹齢300年余りで高さは約30メートルあった。盛り上がった根の上に歩道が敷かれ、路面電車の線路はそこを避けるように曲がっていた。うっそうと茂った枝は通行人の頭上を覆った。

 被爆前に小町に住んでいた檀家(だんか)の佐伯智さん(89)=安佐南区=は、通っていた袋町国民学校(現袋町小)の帰り道によく友人と境内で遊んだ。「夜にはちょうちんがともり、大きなクスノキにセミがたくさん止まっていたのが印象深い。池にいるカメにセミを投げて修行僧に怒られてね」

 8月6日、爆心地から約500メートルで寺は全壊全焼し、境内にいた住職や修行僧が亡くなった。クスノキはしばらく、くすぶっていたと伝わる。

 佐伯さんは広島県北に集団疎開しており原爆を免れたが、父を失った。祖母の勤務先の広島逓信病院(現中区)や島根県の母の実家を転々とした後、復員した叔父が小町の自宅跡に建てたバラックへ戻った。クスノキは「幹に大きな空洞ができていた」という。

 枯死し、55年に撤去された。寺は同じ曹洞宗の海蔵寺(現西区)の住職が再建し、78年に現在地の西区己斐上へ移った。クスノキの根元は市内の家具店が製材、保管していたが、書家で刻字作家の安達春汀さんが90年代に刻字作品に仕立てた。国泰寺には今も、クスノキの輪切りなどの一部が残る。(山下美波)

(2024年11月3日朝刊掲載)

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