遺骨帰る 親子79年ぶり再会 父がシベリア抑留病死 東広島の向井さん 母を思い涙「きっと安心」
24年11月6日
終戦後、シベリア抑留中に33歳で病死した向井一三(いっそう)さん=東広島市八本松町出身=の遺骨が、同町で暮らす次男の哲朗さん(81)の元へ帰ってきた。厚生労働省のDNA鑑定で身元が判明し、79年ぶりに「親子の再会」が実現した。(桑島美帆)
遺族によると、病弱だった向井さんは戦況の悪化に伴い1945年3月、陸軍に徴兵され旧満州(中国東北部)へ渡った。現地で終戦を迎えた後、シベリアに抑留。極寒の中で強制労働に従事し、病に倒れたとみられる。
当時30歳だった妻のフミエさんは終戦後、夫の帰りを待ち続けた。「毎日神棚に向かって祈っていた姿を覚えている」と哲朗さん。遺族年金も受け取らず、農業や米国へ移住した親族の仕送りなどで生計を立てていたという。その後、「中国で病死した」との報がもたらされ、61年に死亡届を市に提出した。
フミエさんは2013年5月に98歳で死去。その翌月、旧ソ連の資料を基にした国の調査で、向井さんが1945年12月、ロシア・ハバロフスク地方の野戦病院で赤痢により死亡し、近くの墓地に埋葬されていることが分かった。
2016年8月、哲朗さんは国が派遣する慰霊訪問団に参加し、父が抑留されていた場所を初めて訪れた。「食べる物もほとんどなく、苦労したと思う」と哲朗さん。遺骨は、18年に政府の遺骨収集派遣団が現地で収容。今年6月、DNA鑑定で血縁関係が確認された。
10月8日、広島県庁で父の遺骨を受け取った哲朗さんは「まずおふくろのことを思い、涙が出た。きっと安心したと思う」と話す。親族で葬儀を済ませ、遺骨は来年5月、十三回忌を迎えるフミエさんが生前用意していた夫婦墓に埋葬する。
(2024年11月6日朝刊掲載)
遺族によると、病弱だった向井さんは戦況の悪化に伴い1945年3月、陸軍に徴兵され旧満州(中国東北部)へ渡った。現地で終戦を迎えた後、シベリアに抑留。極寒の中で強制労働に従事し、病に倒れたとみられる。
当時30歳だった妻のフミエさんは終戦後、夫の帰りを待ち続けた。「毎日神棚に向かって祈っていた姿を覚えている」と哲朗さん。遺族年金も受け取らず、農業や米国へ移住した親族の仕送りなどで生計を立てていたという。その後、「中国で病死した」との報がもたらされ、61年に死亡届を市に提出した。
フミエさんは2013年5月に98歳で死去。その翌月、旧ソ連の資料を基にした国の調査で、向井さんが1945年12月、ロシア・ハバロフスク地方の野戦病院で赤痢により死亡し、近くの墓地に埋葬されていることが分かった。
2016年8月、哲朗さんは国が派遣する慰霊訪問団に参加し、父が抑留されていた場所を初めて訪れた。「食べる物もほとんどなく、苦労したと思う」と哲朗さん。遺骨は、18年に政府の遺骨収集派遣団が現地で収容。今年6月、DNA鑑定で血縁関係が確認された。
10月8日、広島県庁で父の遺骨を受け取った哲朗さんは「まずおふくろのことを思い、涙が出た。きっと安心したと思う」と話す。親族で葬儀を済ませ、遺骨は来年5月、十三回忌を迎えるフミエさんが生前用意していた夫婦墓に埋葬する。
(2024年11月6日朝刊掲載)