被爆「体験記」留学生に贈る 廿日市の93歳西岡さん 「核兵器の怖さ知って」
24年11月7日
県立広島工業学校(現県立広島工業高)1年の時に被爆した西岡誠吾さん(93)=廿日市市=が、昨年出版した「少年・十三歳の原爆体験記」を地元のGR日本語学校に寄贈した。「世界で戦争や紛争が絶えない中、留学生に核兵器の怖さを知ってほしい」との願いを込める。(八百村耕平)
同校の入学式があった1日、肺を患い療養中の誠吾さんに代わり長男の滋さん(65)が44冊を贈った。ネパールやパキスタン、ミャンマーからの36人の留学生を前に「愚かな戦争や核兵器の恐ろしさを伝えるためにこの本を出版した。一緒に平和な世界を築きましょう」と本人の思いを代読した。
誠吾さんは爆心地から約2キロの学校で被爆し、顔や手足を負傷した。体調不良で同行できなかった広島市中心部での建物疎開作業へ出向いた約200人の同期生や教職員は命を落とした。B5判33ページの体験記は自作の絵を交えて当時の光景を描写。「亡き友よ、どんなにか、熱かったろう どんなにか、痛かったろう どんなにか、苦しかったろう」とつづる。
体験記の寄贈は、昨年3月の出版と同じ時期に、誠吾さんが住む住宅団地の近くに同校が開校した縁で持ち上がった。出版に協力した山陽高(広島市西区)図書職員の小崎圭子さん(62)は「留学生に広島の歴史を知ってもらうのは意義深い」と力を込める。
新入生でミャンマーから来たトゥー・カン・フォンさん(20)は「母国では争いが絶えず、ヒロシマはひとごとに思えない。平和の大切さを話せるよう、日本語と一緒に原爆の歴史をしっかり学びたい」と体験記を受け取った。
(2024年11月7日朝刊掲載)
同校の入学式があった1日、肺を患い療養中の誠吾さんに代わり長男の滋さん(65)が44冊を贈った。ネパールやパキスタン、ミャンマーからの36人の留学生を前に「愚かな戦争や核兵器の恐ろしさを伝えるためにこの本を出版した。一緒に平和な世界を築きましょう」と本人の思いを代読した。
誠吾さんは爆心地から約2キロの学校で被爆し、顔や手足を負傷した。体調不良で同行できなかった広島市中心部での建物疎開作業へ出向いた約200人の同期生や教職員は命を落とした。B5判33ページの体験記は自作の絵を交えて当時の光景を描写。「亡き友よ、どんなにか、熱かったろう どんなにか、痛かったろう どんなにか、苦しかったろう」とつづる。
体験記の寄贈は、昨年3月の出版と同じ時期に、誠吾さんが住む住宅団地の近くに同校が開校した縁で持ち上がった。出版に協力した山陽高(広島市西区)図書職員の小崎圭子さん(62)は「留学生に広島の歴史を知ってもらうのは意義深い」と力を込める。
新入生でミャンマーから来たトゥー・カン・フォンさん(20)は「母国では争いが絶えず、ヒロシマはひとごとに思えない。平和の大切さを話せるよう、日本語と一緒に原爆の歴史をしっかり学びたい」と体験記を受け取った。
(2024年11月7日朝刊掲載)