『美術散歩』 戦前の広島 厚みある文化
24年11月9日
◎没後80年記念 田中万吉回顧展 12日まで。広島市中区鉄砲町4の5、ギャラリーブラック
田中万吉(1895~1945年)は戦前の広島の洋画壇をリードした一人。広島県立美術館(広島市中区)やひろしま美術館(同)に収まる優品で知られる。没後80年を控えた時機をとらえ、遺作を保管する親族が回顧展を開いた。
旧制の修道中で学んだ田中は、南画家の稲田素邦に画才を見いだされ、絵の道に。第1回二科展に19歳で入選している。29~32歳の間はフランスに留学。帰国後、山路商、福井芳郎らと会派をつくるなどして精力的に創作した。
1943年、神奈川に転居。45年、広島に残していた多くの作品を原爆で焼失し、失意の中で50歳にして急逝した。
展示は小品中心の約70点で、初公開の作品も多いという。「尾道風景」=写真=など、迷いのないタッチに確かな力量がうかがえる。セザンヌや岸田劉生の影響が濃く感じられる絵も。貪欲に学び、試行と鍛錬を重ねる姿勢は、30点ほどの素描群からも伝わる。
焼失を免れた中から、さらに美術館の所蔵となったものを除いた品々。戦前の広島にあった文化の厚みを感じさせる。(道面雅量)
(2024年11月9日朝刊掲載)
田中万吉(1895~1945年)は戦前の広島の洋画壇をリードした一人。広島県立美術館(広島市中区)やひろしま美術館(同)に収まる優品で知られる。没後80年を控えた時機をとらえ、遺作を保管する親族が回顧展を開いた。
旧制の修道中で学んだ田中は、南画家の稲田素邦に画才を見いだされ、絵の道に。第1回二科展に19歳で入選している。29~32歳の間はフランスに留学。帰国後、山路商、福井芳郎らと会派をつくるなどして精力的に創作した。
1943年、神奈川に転居。45年、広島に残していた多くの作品を原爆で焼失し、失意の中で50歳にして急逝した。
展示は小品中心の約70点で、初公開の作品も多いという。「尾道風景」=写真=など、迷いのないタッチに確かな力量がうかがえる。セザンヌや岸田劉生の影響が濃く感じられる絵も。貪欲に学び、試行と鍛錬を重ねる姿勢は、30点ほどの素描群からも伝わる。
焼失を免れた中から、さらに美術館の所蔵となったものを除いた品々。戦前の広島にあった文化の厚みを感じさせる。(道面雅量)
(2024年11月9日朝刊掲載)