「回天」追悼式 非戦誓う 周南の大津島 初出撃から80年
24年11月12日
旧日本海軍の特攻兵器「回天」の搭乗員たちの追悼式が10日、訓練基地があった周南市の大津島で営まれた。最初の出撃から80年の節目の式に、遺族や関係者たち約200人が全国から参列。命を落とした若者たちに思いをはせ、平和の尊さと向き合った。
回天記念館そばの慰霊碑前であり、参列者が献花した。搭乗員が戦後につくった全国回天会の初代会長小灘利春さん(呉市出身、2006年に83歳で死去)の長女裕子さん(71)=神奈川県鎌倉市=が遺族代表であいさつ。亡父の思いを踏まえ「搭乗員が若い命をささげる決心をしたのは家族、友人、国民を迫りくる危機から救いたいという純粋で強い思いから。戦争を礼賛していたからではない」と述べた。
回天は敵艦への体当たりを狙う魚雷型兵器。搭乗員や整備員たち145人が戦死した。最初の出撃隊は1944年11月8日、潜水艦に搭載されて大津島から戦線へ向かった。山口県の光市や平生町にも基地が置かれた。
回天顕彰会(周南市)の原田茂会長(86)は「戦争はこうした兵器までつくってしまう。絶対にやってはならない」と力を込めた。(井上龍太郎)
(2024年11月12日朝刊掲載)
回天記念館そばの慰霊碑前であり、参列者が献花した。搭乗員が戦後につくった全国回天会の初代会長小灘利春さん(呉市出身、2006年に83歳で死去)の長女裕子さん(71)=神奈川県鎌倉市=が遺族代表であいさつ。亡父の思いを踏まえ「搭乗員が若い命をささげる決心をしたのは家族、友人、国民を迫りくる危機から救いたいという純粋で強い思いから。戦争を礼賛していたからではない」と述べた。
回天は敵艦への体当たりを狙う魚雷型兵器。搭乗員や整備員たち145人が戦死した。最初の出撃隊は1944年11月8日、潜水艦に搭載されて大津島から戦線へ向かった。山口県の光市や平生町にも基地が置かれた。
回天顕彰会(周南市)の原田茂会長(86)は「戦争はこうした兵器までつくってしまう。絶対にやってはならない」と力を込めた。(井上龍太郎)
(2024年11月12日朝刊掲載)