原爆による広島壊滅の「第一報」 岡さんの遺志 伝承者奮闘 市民4人、若者に語り継ぐ
24年11月12日
広島城跡(広島市中区)に残る被爆建物、中国軍管区司令部跡(旧防空作戦室)から原爆による広島壊滅の「第一報」とされる情報を発した岡ヨシエさん(2017年に86歳で死去)の体験と平和への思いを継ごうと、市民4人が修学旅行生らに語り伝えている。
国立広島原爆死没者追悼平和祈念館(同)の研修室。波多野愛子さん(72)=安芸区=が旧作戦室の外観写真を見せながら、信太(しのだ)小(大阪府和泉市)の6年生20人に語りかけた。「比治山高等女学校(現比治山女子中高)3年だった動員学徒の岡さんは、ここで警報発令を司令部や報道に伝達する重要な役割を担っていました」「被爆死した比治山高女生の学徒は65人。教員2人も亡くなりました」
福山工業高(福山市)の生徒たちがコンピューターグラフィックスで被爆前の作戦室内部と女学生らが働く姿を再現した7分の映像を放映。岡さんの手記などを基にした文章を松井早苗さん(66)=南区=が朗読した。
14歳だった岡さんは、爆心地から790メートルの半地下の作戦室で級友と被爆。その後電話で「広島全滅」を福山の部隊に伝えた。60歳を過ぎて証言活動を始め、亡くなる直前まで旧作戦室に赴いた。被爆後に水を求めて城の堀に飛び込んだ級友や、黒焦げの遺体を見た経験を生々しく語った。
波多野さんは、市内のNPO法人ヒロシマ宗教協力平和センターの平和学習で講師を務めた岡さんと05年から親交を深めた。「私の体験を伝承してほしい」と請われ、同法人の梅津千秋さん(66)=安佐北区=と共同で体験を聞き取った。17年に2人で活動を開始。松井さんが翌18年、昨年11月に鈴木利枝さん(65)=中区=が加わった。
4人は岡さんが生前交流していた学校を含め、県外小中学校の修学旅行生たちに年5回程度語っている。旧作戦室は17年から安全確保を理由に閉鎖されているが、今年2月、国の史跡に指定され保存継承への議論が進む。波多野さんは「被爆時に岡さんがいた現場で、戦争や命について子どもたちと考えたい」と望む。(新山京子)
(2024年11月12日朝刊掲載)
国立広島原爆死没者追悼平和祈念館(同)の研修室。波多野愛子さん(72)=安芸区=が旧作戦室の外観写真を見せながら、信太(しのだ)小(大阪府和泉市)の6年生20人に語りかけた。「比治山高等女学校(現比治山女子中高)3年だった動員学徒の岡さんは、ここで警報発令を司令部や報道に伝達する重要な役割を担っていました」「被爆死した比治山高女生の学徒は65人。教員2人も亡くなりました」
福山工業高(福山市)の生徒たちがコンピューターグラフィックスで被爆前の作戦室内部と女学生らが働く姿を再現した7分の映像を放映。岡さんの手記などを基にした文章を松井早苗さん(66)=南区=が朗読した。
14歳だった岡さんは、爆心地から790メートルの半地下の作戦室で級友と被爆。その後電話で「広島全滅」を福山の部隊に伝えた。60歳を過ぎて証言活動を始め、亡くなる直前まで旧作戦室に赴いた。被爆後に水を求めて城の堀に飛び込んだ級友や、黒焦げの遺体を見た経験を生々しく語った。
波多野さんは、市内のNPO法人ヒロシマ宗教協力平和センターの平和学習で講師を務めた岡さんと05年から親交を深めた。「私の体験を伝承してほしい」と請われ、同法人の梅津千秋さん(66)=安佐北区=と共同で体験を聞き取った。17年に2人で活動を開始。松井さんが翌18年、昨年11月に鈴木利枝さん(65)=中区=が加わった。
4人は岡さんが生前交流していた学校を含め、県外小中学校の修学旅行生たちに年5回程度語っている。旧作戦室は17年から安全確保を理由に閉鎖されているが、今年2月、国の史跡に指定され保存継承への議論が進む。波多野さんは「被爆時に岡さんがいた現場で、戦争や命について子どもたちと考えたい」と望む。(新山京子)
(2024年11月12日朝刊掲載)