被爆死直前の一枚 家族写真見つかる 広島の中本さん「父を近くに感じられた」
24年11月26日
爆心直下の広島市細工町(現中区)にあった広島郵便局の職員が、被爆死する前に家族5人で撮った唯一の写真が残っていた。中本七郎さん=当時(28)=と、1945年7月に生まれた三男健治さん(79)=西区=たち一家が写る。健治さんは「記憶のない父を近くに感じられた。父の人生や最期を知りたい」と被爆80年を前に手掛かりを集めている。(山下美波)
広島郵便局は爆心地の島病院の筋向かいにあり、動員学徒を含め8月6日に出勤していた300人近くが犠牲になった。郵便課の七郎さんは前日から夜勤だった。7日以降、妻美代子さん(98年に79歳で死去)が生後1カ月から3歳までの3児をリヤカーに乗せて口田村(現安佐北区)の自宅から市中心部に入り捜し歩いたが、遺骨さえ見つからなかった。
家族写真は、美代子さんに抱かれた7月3日生まれの健治さんを含め全5人が自宅の縁側で納まる。長男俊明さん(82)の妻まゆ美さん(77)=安佐北区=が自宅の押し入れで見つかった七郎さんの遺品約20点を確認したところ、今月になってアルバムの家族写真を見つけた。
戦後、美代子さんは3児の父親代わりに親戚の男性と内縁関係になったといい、健治さんは「母が気を使って遺品をしまい込んだのだろう」と推し量る。ただ、夫の帰宅を待ち続け、家族が出かける際は必ず玄関で祈るように手を合わせて見送ったという。
今月22日、健治さんたちは家族写真の複写や七郎さんが43年に書いた遺言状などの遺品一式を原爆資料館(中区)に寄贈した。学芸課は「犠牲者の人生が分かる遺品がこれだけそろっているのは貴重」とする。健治さんは「遺言状の筆跡が自分と似ていて親子だなと感じた。子どもたちに父の人生や最期を伝えたい」。郵政関係の資料や手記を集め、調べ始めている。
(2024年11月26日朝刊掲載)
広島郵便局は爆心地の島病院の筋向かいにあり、動員学徒を含め8月6日に出勤していた300人近くが犠牲になった。郵便課の七郎さんは前日から夜勤だった。7日以降、妻美代子さん(98年に79歳で死去)が生後1カ月から3歳までの3児をリヤカーに乗せて口田村(現安佐北区)の自宅から市中心部に入り捜し歩いたが、遺骨さえ見つからなかった。
家族写真は、美代子さんに抱かれた7月3日生まれの健治さんを含め全5人が自宅の縁側で納まる。長男俊明さん(82)の妻まゆ美さん(77)=安佐北区=が自宅の押し入れで見つかった七郎さんの遺品約20点を確認したところ、今月になってアルバムの家族写真を見つけた。
戦後、美代子さんは3児の父親代わりに親戚の男性と内縁関係になったといい、健治さんは「母が気を使って遺品をしまい込んだのだろう」と推し量る。ただ、夫の帰宅を待ち続け、家族が出かける際は必ず玄関で祈るように手を合わせて見送ったという。
今月22日、健治さんたちは家族写真の複写や七郎さんが43年に書いた遺言状などの遺品一式を原爆資料館(中区)に寄贈した。学芸課は「犠牲者の人生が分かる遺品がこれだけそろっているのは貴重」とする。健治さんは「遺言状の筆跡が自分と似ていて親子だなと感じた。子どもたちに父の人生や最期を伝えたい」。郵政関係の資料や手記を集め、調べ始めている。
(2024年11月26日朝刊掲載)