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[被団協に寄せて ノーベル平和賞] 前広島市長 秋葉忠利さん 報復でなく和解の精神

被爆体験 学問化すべき

  ≪日本被団協のノーベル平和賞受賞が決まり、喜ぶと同時に、ほっとしたという。≫

 ウクライナとパレスチナ自治区ガザの問題がある中、ノーベル賞委員会はロシア、イスラエルに対し、核兵器を使ってはいけない、一刻も早い停戦を、というメッセージを出したかったのでしょう。もう一つタイミングで重要だったのは、少なくなったけど元気な被爆者がいるうちに贈ること。今を逃すと、遅きに失します。

 ≪被爆者や日本被団協にノーベル平和賞を授与すべきだとして長く運動してきた。1980年代には被爆35年の写真集「ヒロシマの記録」(中国新聞社刊)の英訳を提唱し、出版されると、手紙と共にノーベル賞委員会に送った。99年に広島市長に就任して初めて起草した原爆の日の平和宣言には被爆者への感謝の気持ちを込めた。≫

 あれは委員会への推薦状の一部で、なぜ被爆者が平和賞を受けるべきなのかという理由になります。一つ目は、死を選んだとしても誰も非難できないような状況で生を選んだという勇気。二つ目は、ノーベル賞委員会は「核のタブー」と言いましたが、「こんな思いを他の誰にもさせてはならない」と訴え、3度目の核が使われなかった事実です。

 三つ目は、「報復ではなく和解を」という被爆者の哲学。人の痛みが分かる心を持つのが大事だと多くの被爆者から学びました。

 ≪その一人が、原爆資料館長を務めた高橋昭博さん(2011年に80歳で死去)だった。≫

 80年に原爆展でワシントンを訪れた高橋さんに通訳として同行し、原爆を投下したエノラ・ゲイ号の機長だったポール・ティベッツさんと面会しました。その時、彼は「命令されれば、もう一度原爆を落とす」と高橋さんに言ったんです。本当に信じられなかった。

 「でも、あれは戦争だった。戦争は避けなくちゃいけない」と理由を説明して。高橋さんはそこを捉えて「そうですよね、戦争はいけないです。だから起きないよう私たち2人で頑張りましょう」と返しました。「報復ではなく和解を」の典型的な例でした。

 ≪会長を務めた平和市長会議(現首長会議)では、20年までの核兵器廃絶へ行動計画を立てた。平和賞を踏まえ、ヒロシマはどう行動すべきか考えを巡らせる。≫

 まず、被爆者がいなくなる時代を見据え、被爆体験を大学レベルで学問化すべきです。そして核兵器廃絶に大事なのは、圧倒的多数の非被爆者が被爆者の体験を基に和解の哲学を共有し、核兵器のない平和な世界をつくる志を共有する「ヒロシマ人」になることです。

 受賞は来年の被爆80年をスタートラインにしなさいという知らせかな。次の節目として被爆100年までの核兵器廃絶を目標に掲げ、具体的な行動計画を作り、日本、世界全体へ運動を広げるのが、被団協の未来形ではないでしょうか。(聞き手は岡田浩平)

あきば・ただとし
 東京都生まれ。米マサチューセッツ工科大大学院修了。米タフツ大准教授、広島修道大教授、衆院議員などを経て1999~2011年に広島市長。16年から広島県原水禁の代表委員。82歳。

(2024年11月28日朝刊掲載)

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