[被団協に寄せて ノーベル平和賞] 被爆教師 森下弘さん 発信強化 今こそ必要
24年11月29日
次世代へ記憶つないで
≪日本被団協に向けたノーベル平和賞の授賞理由で、ノルウェーのノーベル賞委員会は「記憶を守る強い文化と継続的な関与により、日本の新たな世代は被爆者の経験とメッセージを引き継いでいる」と指摘。継承の営みを評価した。≫
うれしいですね。私は教職員の被爆者団体に身を置いたが、志は被団協と変わらない。教壇から「あの惨禍を繰り返してはいけない」「君たちに頑張ってほしい」と訴えてきました。
原爆に遭った者には体験を伝える責務がある。そう思い、高校教諭だった1960年代から平和教育に力を入れてきました。生徒はみな、戦後生まれ。親から戦争の話を聞いていても、実感が持てないようでした。当時は教科書にも原爆の記述が少なくてね。平和教育の副読本や教材資料集を出版し、生徒の意識調査も20年近く続けました。
≪全国被爆教職員の会の会長で、広島県議も5期務めた石田明さん(2003年に75歳で死去)と親交を深めた。≫
小中学校の現場は、いち早く平和教育を進めていた。リード役の石田さんは、私にも「一緒にやりましょう」と。72年に開設された広島平和教育研究所(東区)には、毎週のように顔を出させてもらいました。仲間と平和教育論をかんかんがくがくやっては、ビールを酌み交わしたものです。
石田さんは原爆白内障を患い、国を動かそうと訴訟を起こした。さらには「教師の立場だけではことにならん」と政界に進まれましたね。信念を持った人でした。
≪核兵器廃絶を目指すNPO法人ワールド・フレンドシップ・センター(西区)の名誉理事長で、海外でも被爆証言を重ねてきた。最近では4月に赤十字国際委員会(ICRC)などに招かれ、平和賞の授賞式があるノルウェー・オスロを訪れた。≫
現地では核問題への並々ならぬ関心を感じた。平和賞授与にも、ウクライナや中東の状況を踏まえ、世界に警告を発する意味があるのでしょう。今こそ奮起して、発信を強めないといけません。
核情勢が厳しさを増す中、廃絶を訴える熱量は落ちつつある。このずれをカバーしたい。平和は放っておいてもやって来るものではありません。次代をつくる人には戦争の悲惨さを知ろうとしてほしい。どうすれば阻止できるか、とことん考えてほしい。教育現場はもちろん、一人一人が関心を持つのが大事です。
とりわけ広島、長崎に頑張ってほしい。風化を憂うばかりでは仕方がない。私たちがいなくなっても被爆地には記憶を受け継ぐ人も、原爆の惨禍を刻む資料も残ります。高校生平和大使の皆さんのような動きが長く、つながっていってほしいです。 (聞き手は編集委員・田中美千子)=おわり
もりした・ひろむ
広島県大崎上島町生まれ。14歳で被爆。廿日市高、島根大などで書道を教える。広島県高教組被爆教職員の会の初代会長。94歳。
(2024年11月29日朝刊掲載)