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連載・特集

[歩み 被団協ノーベル平和賞] 被爆者の声 地域へ世界へ

 日本被団協は、都道府県にそれぞれ根を張る被爆者組織の集まりだ。あの日一瞬で原爆に人生を奪われた犠牲者たちの無念を背負い、地域で支え合いながら、国際社会へ核兵器廃絶を働きかけてきた。(下高充生、宮野史康)

 日本被団協発足に前後し、1950年代を中心に全47都道府県で被爆者組織が結成された。被爆者の高齢化に伴って近年解散が相次ぎ、現在は36都道府県から日本被団協に加盟。うち北海道被爆者協会も来年3月で幕を閉じる。残る組織は、被爆2世や支援者を会員に加えたり、2世組織をつくったりし、草の根の運動を懸命に続けている。

 その柱には当初から、被爆者への援護拡充とともに原水爆禁止を据えてきた。「世界に訴うべきは訴え、国家に求むべきは求め、自ら立ち上がり、たがいに相救う道を講ずる」。日本被団協は56年の結成宣言「世界への挨拶(あいさつ)」でこううたう。80年代には、国連や核兵器保有五大国を相次ぎ訪問。「ノーモア・ヒバクシャ」の訴えを世界へ広げた。

 日本被団協へのノーベル平和賞授賞理由で、ノルウェーのノーベル賞委員会は「核兵器が二度と使われてはならないことを目撃証言を通じて示してきた」とたたえている。

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核廃絶願い 惨禍伝える

草の根組織 援護にも力

 「自分たちの苦しみをなんとかしてほしい、そしてこんな思いを二度と誰にもしてほしくない。そうやって被爆者が立ち上がったんです」

 11月下旬、広島市中区の平和記念公園を修学旅行で訪れた新潟県の高校生たちに、広島県被団協(箕牧(みまき)智之理事長)のガイド楠本昭夫さん(65)=廿日市市=が被爆者運動の歩みの一端を語った。碑を巡りながら、一帯にあった街が原爆で消え、大勢の市民が犠牲になった事実を伝えた。

 県被団協は被爆の惨禍を伝えるため、ガイドと被爆証言に取り組む。ガイドは被爆者や2世、賛同者たち約20人で、元高校教員の楠本さんがまとめ役。2023年度は7581人を案内した。同じく証言を聞いたのは1万9487人。毎年8月6日に近づくと忙しく、高齢の被爆者が1日3回講話する日もある。

手帳取得の相談

 もう一つの活動の柱が被爆者たちの援護だ。被爆者健康手帳の取得や、原爆症認定に伴う医療特別手当の申請など手続きの相談に乗る。被爆者の高齢化に伴い、介護制度の説明会も開く。

 09年には被爆した親の子や孫たちが加入できる「二世三世の会」を設けた。県被団協を構成する県内28の地域組織も、それぞれ慰霊碑を維持して慰霊祭を営むなど地道に活動している。日本被団協代表委員も務める箕牧理事長は「地域組織あっての県被団協」と語る。

各地を結ぶ新聞

 そんな都道府県組織からなるのが日本被団協。もう一つの広島県被団協(佐久間邦彦理事長)もオブザーバー参加している。日本被団協は1976年5月創刊の被団協新聞を毎月発行し、「被爆者運動の血管」として各地を結びつける。部数は約7千部。24年11月号は平和賞を受け「日本被団協が国際語になった」と論じた。

 初夏の総会に各地の代表者が集まり、1年の方針を決める。秋にも代表者会議で議論する。いずれも終了後には、政府や政党に核兵器禁止条約への参加などを要請する中央行動に取り組む。

 事務所は東京都港区のビルにあり、職員はパートを含め4人。援護施策の活用を週1回助言する相談員もいる。活動予算は年4千万円弱で寄付が中心だ。

 いずれも被爆者の代表委員3人、事務局長1人、事務局次長4人の平均年齢は83・4歳。日頃の連絡は通信アプリLINE(ライン)を使う。新型コロナウイルス流行を機に年数回の代表理事会、隔週の事務局会議はいずれもウェブで開く。「すごいですよね、80歳を過ぎて」と工藤雅子事務室長(62)は話す。

被爆者
 被爆者援護法や政令では、①米国による原爆投下時に当時の広島、長崎両市内などにいた「直接被爆」②投下から2週間以内に、爆心地からおおむね2キロ以内に入った「入市被爆」③被爆者の救護などに当たったり「黒い雨」を浴びて一定の疾病にかかったりした④その胎児―を被爆者と定義する。被爆者健康手帳が交付され、医療費の自己負担分が無料になるほか、健康管理手当(月額3万6900円)や原爆症認定に伴う医療特別手当(同15万20円)などを受給できる。厚生労働省によると、今年3月末時点で手帳所持者は10万6825人、平均年齢85.58歳。

(2024年12月2日朝刊掲載)

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