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社説・コラム

『潮流』 昭和の歌声

■論説委員 田原直樹

 昭和歌謡がブームという。昭和世代ではなく、今のZ世代と呼ばれる若者の間で。キャッチーなメロディーや心に響く歌詞が魅力らしく「初めて聴くのに落ち着く」と。

 アイドル全盛期に青春時代を過ごした私だが洋楽かぶれで、当時の歌手や曲をあまり知らない。だが5年前に作曲家古関裕而の取材を通して、昭和の音楽も聴き始めた。先日は東京の慶応大で開催中の「藤山一郎がゆく!」展を訪れ、歌声が時代とともにあったことをあらためて実感した。

 藤山は慶応義塾普通部から東京音楽学校(現東京芸術大)へ。苦学する中、「酒は涙か溜息か」「丘を越えて」を吹き込み大ヒットした。

 レコード会社専属となり「東京ラプソディ」が大当たりするのは、二・二六事件の年。世の中は戦争へと向かう。古関の「露営の歌」など軍国歌謡が売れ始めていく。

 太平洋戦争が始まるや藤山も、大本営発表を知らせるニュース歌謡を歌っていく。南方への派遣慰問団にも参加。兵士の前で歌う姿や現地住民に歌を指導する様子の写真が展示されている。

 慰問先のジャワ島で敗戦を迎えた。捕虜として収容所生活の後、昭和21年7月末に大竹港に上陸し、やっと帰国。東京へ戻る車窓から被爆1年の広島を見る。

 3年後に「長崎の鐘」を吹き込む際は、広島の光景もよみがえったか。展示室には永井隆博士からの礼状やロザリオも。その病床で藤山はアコーディオンを弾き、「長崎の鐘」を歌ったという。

 激動の時代に、藤山は気品のある声で数々の曲を歌い上げて人々を楽しませ、慰めた。歌声を聴き、昭和に思いをはせている。昭和歌謡ブームが私にも到来している。

(2024年11月30日朝刊掲載)

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