緑地帯 武部好伸 「映画」事始め+広島③
24年11月29日
大阪・心斎橋の輸入雑貨商、荒木和一は明治29(1896)年夏、2度目の渡米時にシカゴで大スクリーンに映された「動く写真」を見て心底、驚いた。2年前、1人でしか見られないエジソン発明ののぞき穴式映写機キネトスコープで同じ映像を目にしていたのだが、大勢の観客と一緒に見る映像の迫力に圧倒されたのだ。
その映写機がエジソン社のヴァイタスコープ。米国でもすでにシネマトグラフが導入されていたが、まだ認知度が低く、和一の目に入っていなかった。「これを日本に持って帰るんや!」。すぐにニューヨークへ駆け付け、発明王本人に装置購入を直談判。すごい行動力だ!
そして同年暮れ、和一の元に映写機が届き、大阪・難波の福岡鉄工所(現なんばパークス北側)で実験試写が行われた。京都の稲畑勝太郎がフランスから持ち込んだシネマトグラフの試写が翌年1月下旬~2月上旬。えっ、和一の方が1カ月以上も早い! 本邦初上映地は京都ではなく、大阪だったのか…。ちなみに映画の一般公開は同年2月15~28日、難波の南地演舞場(現東宝南街ビル)で勝太郎のシネマトグラフによって行われた。つまり映画の上映と興行は共に大阪から始まったのだ。それも難波! 体が震えた。
この刺激的な映画誕生譚(たん)をはじめ、大阪と映画との深い関わりをまとめた「大阪『映画』事始め」(彩流社)を2016年に刊行した。それを機に予期せぬ出会いが生まれようとは…。(作家・エッセイスト=大阪市)
(2024年11月29日朝刊掲載)
その映写機がエジソン社のヴァイタスコープ。米国でもすでにシネマトグラフが導入されていたが、まだ認知度が低く、和一の目に入っていなかった。「これを日本に持って帰るんや!」。すぐにニューヨークへ駆け付け、発明王本人に装置購入を直談判。すごい行動力だ!
そして同年暮れ、和一の元に映写機が届き、大阪・難波の福岡鉄工所(現なんばパークス北側)で実験試写が行われた。京都の稲畑勝太郎がフランスから持ち込んだシネマトグラフの試写が翌年1月下旬~2月上旬。えっ、和一の方が1カ月以上も早い! 本邦初上映地は京都ではなく、大阪だったのか…。ちなみに映画の一般公開は同年2月15~28日、難波の南地演舞場(現東宝南街ビル)で勝太郎のシネマトグラフによって行われた。つまり映画の上映と興行は共に大阪から始まったのだ。それも難波! 体が震えた。
この刺激的な映画誕生譚(たん)をはじめ、大阪と映画との深い関わりをまとめた「大阪『映画』事始め」(彩流社)を2016年に刊行した。それを機に予期せぬ出会いが生まれようとは…。(作家・エッセイスト=大阪市)
(2024年11月29日朝刊掲載)