緑地帯 武部好伸 「映画」事始め+広島②
24年11月28日
日本における映画の発祥地は京都―。そう思っている人が多いだろう。ぼくもそうだった。
そもそもスクリーンに映像を投映する今日の映画の原型になったのは、1895年にフランスのリュミエール兄弟が発明した映写機シネマトグラフ(撮影も可能)による映像だ。
定説では、2年後の明治30(97年)年1月上旬、商用で渡仏していた京都の実業家、稲畑勝太郎がその装置を持ち帰り、同月下旬~2月上旬に京都市中京区の京都電灯会社の中庭で行われた実験試写が本邦初の映画上映とされている。その跡地(現「立誠ガーデン ヒューリック京都」)には、このことを示す説明板が立てられてある。
実は同じ時期にもう1人、米国から映写機を日本に導入した関西人がいた。それが大阪・心斎橋の輸入雑貨商、荒木和一。この人物、日本の映画史では影が薄く、あまり注目されていなかった。なぜか? それは映画黎明(れいめい)期を京都と東京の視線でしか捉えられていなかったからだとぼくは思っている。確かに大阪と映画を結び付けるなんて考えられなかったのだろう。
生来の天邪鬼(あまのじゃく)で、光の当たらない人物に興味を抱く癖のあるぼくは、ならば大阪からアプローチしようと決意。元新聞記者。記者魂をよみがえらせ、徹底的に和一を調べ上げると、非常にドラマチックな出来事が浮かんできた。それが定説に疑義を呈することになろうとは…。エネルギーを注げば、何かしらわが身に返ってくるものだ。(作家・エッセイスト=大阪市)
(2024年11月28日朝刊掲載)
そもそもスクリーンに映像を投映する今日の映画の原型になったのは、1895年にフランスのリュミエール兄弟が発明した映写機シネマトグラフ(撮影も可能)による映像だ。
定説では、2年後の明治30(97年)年1月上旬、商用で渡仏していた京都の実業家、稲畑勝太郎がその装置を持ち帰り、同月下旬~2月上旬に京都市中京区の京都電灯会社の中庭で行われた実験試写が本邦初の映画上映とされている。その跡地(現「立誠ガーデン ヒューリック京都」)には、このことを示す説明板が立てられてある。
実は同じ時期にもう1人、米国から映写機を日本に導入した関西人がいた。それが大阪・心斎橋の輸入雑貨商、荒木和一。この人物、日本の映画史では影が薄く、あまり注目されていなかった。なぜか? それは映画黎明(れいめい)期を京都と東京の視線でしか捉えられていなかったからだとぼくは思っている。確かに大阪と映画を結び付けるなんて考えられなかったのだろう。
生来の天邪鬼(あまのじゃく)で、光の当たらない人物に興味を抱く癖のあるぼくは、ならば大阪からアプローチしようと決意。元新聞記者。記者魂をよみがえらせ、徹底的に和一を調べ上げると、非常にドラマチックな出来事が浮かんできた。それが定説に疑義を呈することになろうとは…。エネルギーを注げば、何かしらわが身に返ってくるものだ。(作家・エッセイスト=大阪市)
(2024年11月28日朝刊掲載)