緑地帯 武部好伸 「映画」事始め+広島⑦
24年12月5日
日本の映画黎明(れいめい)期に活躍した大阪の荒木和一と京都の稲畑勝太郎。共に進取の気性に富むクリスチャンで、片や米国派、片やフランス派。興行合戦の最中、直接、顔を合わせなかったのに、その後、重要な場で居合わせるという〈運命の糸〉を小説の形にし、2021年暮れ「フェイドアウト 日本に映画を持ち込んだ男、荒木和一」(幻戯書房)の題名で出版した。動き出してから5年の歳月がたっていた。
刊行後、大阪の書店で開催された発刊記念イベントに広島から久保田良枝さんが駆け付け、「祖父が小説の主人公になるとは!」と拙著を何十冊も買ってくれた。ありがたかった。
年が明け、思いもよらぬ話が舞い込んだ。大阪・新町にある文化発信スペース、イサオビルのオーナー、井場宏さんから「小説を舞台化しましょう」と俊英の劇作家・演出家の増田雄さんを紹介されたのだ。
明治30(1897)年2月22~24日、和一が米エジソン社の映写機ヴァイタスコープを使った初の映画興行の地がイサオビル近くの新町演舞場だった。この史実が、地域の文化・歴史を掘り起こしている井場さんの心に響いた。
小説では大勢の人物が登場するが、舞台ではわずか4人の俳優だけで演じるという。絶対に不可能と思った。しかし増田さんが見事に脚色してくれた。そしてクリスマスの日、俳優とスタッフ全員が初顔合わせし、いよいよ舞台化へと動き出した。 (作家・エッセイスト=大阪市)
(2024年12月5日朝刊掲載)
刊行後、大阪の書店で開催された発刊記念イベントに広島から久保田良枝さんが駆け付け、「祖父が小説の主人公になるとは!」と拙著を何十冊も買ってくれた。ありがたかった。
年が明け、思いもよらぬ話が舞い込んだ。大阪・新町にある文化発信スペース、イサオビルのオーナー、井場宏さんから「小説を舞台化しましょう」と俊英の劇作家・演出家の増田雄さんを紹介されたのだ。
明治30(1897)年2月22~24日、和一が米エジソン社の映写機ヴァイタスコープを使った初の映画興行の地がイサオビル近くの新町演舞場だった。この史実が、地域の文化・歴史を掘り起こしている井場さんの心に響いた。
小説では大勢の人物が登場するが、舞台ではわずか4人の俳優だけで演じるという。絶対に不可能と思った。しかし増田さんが見事に脚色してくれた。そしてクリスマスの日、俳優とスタッフ全員が初顔合わせし、いよいよ舞台化へと動き出した。 (作家・エッセイスト=大阪市)
(2024年12月5日朝刊掲載)