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社説・コラム

『書評』 バチカン機密文書と日米開戦 津村一史著 あの戦争 避けられたのか

 松岡洋右といえば戦前は国際連盟で席を蹴った全権大使として喝采を浴び、後に近衛文麿内閣の外相となる政治家。光市室積の生まれである。A級戦犯として訴追され、審理中に病没している。

 その松岡が太平洋戦争開戦の8カ月前、時のローマ教皇と会見し、日米和平交渉の仲介を要請していたことが教皇庁(バチカン)の機密文書によって明らかになった。本書は公開された膨大な文書を探索し、スクープを打電するまでの「一人支局長」の奮戦記である。

 著者は共同通信記者。ローマ駐在だった2020年、第2次大戦中に在位したピウス12世に関する機密文書の公開に遭遇する。当初はコロナ禍にも阻まれ取材は難航するが、助手が持ち込んだ1枚の紙片が端緒となる。

 それは1945年5月のバチカン内部の通達。国務省がバチカンの有力紙に対し「報道が連合国寄りだ」と指摘すると、新聞の側は「日本の戦果の誇示は米国の発表と矛盾し報じるに値しない」と反論する内容だった。日米和平を巡るバチカンの内情が見て取れた。

 在日本ローマ教皇使節パウロ・マレラが空襲におびえる日々を本国に報告した手紙も、その後著者は見つける。このマレラは外相松岡と開戦前に会談した高官。「日本が米国に先制攻撃することはない」という松岡の言質を得た上で「日本の外務省はバチカンの政治力を利用したがっている」と本国に報告していた。翼賛政治へとなだれ込む情勢も的確に分析する。その文書も見つかった。

 松岡は滑らかな英語で30分間「立て板に水」だったという。対米開戦を回避できる自信があったのか。そして著者は松岡と教皇の会見を証明する文書を探し出した。この直談判に、昭和天皇と教皇との間の「破滅回避への意志のつながり」があったと著者は確信する。

 過去の一つ一つの「もし」と真摯(しんし)に向き合う。それが平和な未来の建設につながるのではないか―。ウクライナ取材にも臨んだ著者の心境の吐露に共感するものである。 (佐田尾信作・客員編集委員)

dZERO・2090円

(2024年12月8日朝刊掲載)

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