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歩み 被団協ノーベル平和賞 <7> 核兵器廃絶 禁止条約採択の原動力

厳しい国際情勢にめげず

 木枯らしの吹く11月22日、広島市中区の平和記念公園に日本被団協代表委員で広島県被団協理事長の箕牧(みまき)智之(82)や、もう一つの県被団協理事長の佐久間邦彦(80)が立った。ノーベル平和賞受賞決定をアピールし「日本政府は核兵器禁止条約に参加を」という横断幕を掲げ、市民や旅行者に署名への協力を求めた。

 2021年1月22日の条約発効から2カ月ごとに取り組む活動。米国の「核の傘」に依存する日本政府は条約に加盟しておらず、過去2回の締約国会議に参加もしなかった。広島被爆者団体連絡会議事務局長の田中聡司(80)は「せめてオブザーバー参加しないと、授賞式に行く私たちも恥ずかしい思いをする」と語気を強める。

1370万人分の署名

 被団協は原爆被害への補償を国に求めるとともに「核戦争起こすな、核兵器なくせ」と訴えてきた。核兵器を禁止し、廃絶する条約の締結を全ての国に求める「ヒバクシャ国際署名」を結成60年に提唱。市民団体などと連携して16年3月に集め始め、20年12月末までに世界1370万人分を国連へ届けた。

 有志国が核兵器の非人道性を議論した13、14年の国際会議にも役員を派遣し禁止条約へ後押し。現代表委員の田中熙巳(てるみ)(92)は14年12月、オーストリア・ウィーンでの会議で、原爆のきのこ雲の下を想像するよう呼びかけ「二度と使われない保証は核兵器が存在しないことだ」と強調した。

 こうした貢献もあり、17年7月に国連で採択された条約は前文で「被爆者の耐えがたい苦しみと被害に留意」し、「被爆者の努力を認識」すると刻む。交渉会議議長を務めたエレイン・ホワイトは採択後の記者会見で「長年にわたり体験を伝えてきた被爆者が成功の原動力だ」と感謝した。

 ただ、平和賞受賞は核を巡る厳しい国際情勢の裏返しだ。核兵器保有国は条約に反発し続けている。ウクライナに侵攻するロシアは先月、保有国の支援を受ける非保有国からの侵略を共同攻撃とみなして核抑止力行使の対象とするなど、核使用の基準を引き下げた。

次世代にも影響

 核使用の危険性が高まる中、被団協の運動は次代の道しるべであり続ける。昭和女子大(東京)を中心にした学生たちは被団協の活動資料を分析し、「原爆被害者の基本要求」の巡回展を首都圏で開催。2年五十嵐文恵(19)は、核被害を起こさない誓いとして原爆被害に国の償いを求める思想に注目し「国家補償を認めず、今も政府の立場が変わっていない危機感を共有したい」と語る。

 被団協の平和賞受賞決定を受けて先月30日には、事務局次長の浜住治郎(78)と、核兵器廃絶へ取り組む福山市出身の高橋悠太(24)が都内で対談した。広島で胎内被爆し、被団協では若手の浜住は、禁止条約を運動の到達点としつつ「被爆者はだんだんパワーが減っていく。あと10年、20年するとどうなるか」と案じた。

 そんな思いに対し、高橋は被爆者団体と志を共有するさまざまな団体がつながり、ネットワークをつくる「新しいフェーズ」に入ったと見立てる。「核兵器廃絶を被爆者の特別な運動ではなく、一人一人の課題にしたい」。人類の危機を救うのは、今を生きる私たちの責務だ。=敬称略 (宮野史康、下高充生) =おわり

(2024年12月7日朝刊掲載)

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